【プロ野球】「本当はもっとマウンドにいたい......」。高津臣吾、22年の選手生活に幕 (3ページ目)

  • 大田誠(テレビ朝日 Get SPORTS取材班)●文 text by Ohta Makoto(tv asahi Get SPORTS crew)
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

 平野が、振り返る。

「(最後は)シンカーが、ウイニングショットとして一番いいボールだと思って選択しました。小さい頃からテレビでずっと見ていて、野球ファンとして、高津さんが引退されるというのが、本当に残念だったので、これが最後なんだなという思いで、涙が出ちゃいました。こんな場面に自分が立ち会えるとは思ってもいなかったので、本当に光栄だと思いますし、忘れられない日になると思います」

 試合を終え、いよいよ、高津の現役生活がフィナーレに近づいていく。古田とのバッテリーで臨んだ終球式で、最後もシンカーを投げ込んだ。メジャーリーグでともに戦った福留孝介が、この日のために駆けつけてくれた。さらに、2010年に戦った台湾プロ野球選手会からも花束が贈られ、新潟アルビレックスBCからは、背番号22を球団初の永久欠番とすることが発表された。

 そして、高津が誰よりも愛し、心の支えとしてきたふたりの息子からの言葉。

「パパ22年間お疲れ様でした」と伝えた長男に優しい笑顔を返した高津だったが、「パパと同じマウンドに立てるように頑張りますので、応援よろしくお願いします」と二男が伝えた瞬間、それまでこらえていた涙が、一気にこぼれ落ちた。スタンドで見つめていた妻も、頬を伝う涙を、ぬぐい続けていた。

 そして最後は、涙をこらえながらの引退スピーチ。

「今日、たくさんのお客さんの前で引退試合を行なうことができました。選手生活22年、素晴らしい人に出会い、素晴らしい仲間と野球ができ、素晴らしい思い出をたくさんもらいました。これらはすべて僕の宝物です」

 ここで、およそ8秒間の静寂がスタジアムに流れると、スタンドから「高津がんばれ!」の声援が沸き起こる。そして高津が、再びゆっくりと話し始める。

「夜も眠れない時や、すべてを投げ出してしまいたい時もありました。もしあの時、辞めていたら、こんなに辛い思いをせずに済んだのではないかと思う時もありました。ただ歯を食いしばり、いろんなものを犠牲にして、我慢して、頑張って、今日を迎え、僕が今までやってきたことは、間違いじゃなかったと確信しました。これまで、いろんな国で、いろんなリーグで僕に携わってくれた方々、心より感謝します。」

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