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【MLB日本人選手列伝】松井秀喜:「ゴジラ」の記憶は摩天楼ニューヨークに今もなお生き続ける (2ページ目)

  • 文/杉浦大介 text by Sugiura Daisuke

【ヤンキースの一員として成功した要因】

2009年ワールドシリーズではMVPを獲得する活躍で優勝に貢献した photo by Getty Images2009年ワールドシリーズではMVPを獲得する活躍で優勝に貢献した photo by Getty Images それでもひとつ言えることは、松井に対するファン、チームの周囲からの評価の高さは変わらなかったということだ。その理由は、プレーする限りは生産的な打者であり続けたというだけではなく、チーム重視の打撃ができる献身的なスタイルは常勝が義務づけられたヤンキースにフィットしたからだろう。日本時代のような典型的なパワーヒッターではなく、プロフェッショナルヒッター。その姿勢は最後まで変わらなかったのだから、デレック・ジーターの"大好きなチームメイト"という言葉は決して社交辞令ではなかったはずだ。そして、そういった選手だからこそ、2009年秋の大爆発は多くのニューヨーカーの胸を打ったのである。

「ポストシーズンのゲームはすべて思い出深いですかね。シーズン中から、ヤンキースはプレーオフに行くもんだと思っていました。自分は別に何も準備、気持ちっていう面では変わってなかったですけど、その時期になるとそれが当たり前のような感じだった気がします」

 本当に毎年のようにプレーオフには進むヤンキースだが、冒頭の記述どおり、2009年以降、この名門球団は栄光に見放され続けている。そんな背景もあって、現時点で最後となった栄光をもたらしてくれた"ゴジラ"を地元の人々は忘れてはいない。今でも公の場に姿を現せば、ジーター、マリアーノ・リベラに次ぐ大歓声を浴びるのが恒例となっている。つけ加えておくと2010年にヤンキースから移籍し、ニューヨークの緊張感から離れて以降、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズでプレーした松井は精彩を欠いたのも事実だった。

 ヤンキースが松井を必要としたのと同じように、松井もニューヨークの街とヤンキースが必要だったのだろう。改めて振り返っても、幸せな邂逅だった。7年にわたって響き渡った"ゴジラ"の咆哮は、今でも摩天楼にこだましているようですらある。

【Profile】まつい・ひでき/1974年6月12日、石川出身。星稜高(石川)―1992年NPBドラフト1位(巨人)。2002年12月にFAでニューヨーク・ヤンキースと契約。
●NPB所属歴(10年):巨人(1993〜2002)
●NPB通算成績:1268試合出場/打率.304/1390安打/332本塁打/889打点/46盗塁/出塁率.413/長打率582
●MLB所属歴(10年):ニューヨーク・ヤンキース(2003〜09)―ロサンゼルス・エンゼルス(2010)―オークランド・アスレチックス(2011)―タンパベイ・レイズ(2012) *すべてアメリカン・リーグ
●MLB通算成績:レギュラーシーズン=1236試合出場/打率.282/1253安打/175本塁打/760打点/13盗塁/出塁率.360/長打率.462 プレーオフ(6年)=56試合出場/打率.312/64安打/10本塁打/39打点/出塁率.391/長打率.541
●MLBタイトル受賞&偉業歴:ワールドシリーズMVP(2009)

著者プロフィール

  • 杉浦大介

    杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)

    すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

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