ダルビッシュ&黒田&岩隈。狙うは過去最多43勝以上! (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 そして、2000年の39勝(長谷川=10勝、野茂=8勝、マック=8勝、吉井=6勝、大家=3勝、伊良部=2勝、佐々木主浩=2勝)、2001年の30勝(野茂=13勝、長谷川=5勝、マック=5勝、吉井=4勝、大家=3勝)を経て、2002年、日本人投手の合計勝利数はピークを迎えます。まず、ドジャースに石井一久投手が入団して14勝を記録。さらにドジャースに戻ってきた野茂投手も16勝を挙げ、同じチームで合計30勝を挙げるという画期的な出来事がありました。さらに、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)の大家友和投手も自己最多の13勝をマークし、1999年以来2度目となる「日本人投手ふたケタ勝利トリオ」が誕生したのです。また、合計勝利数は過去最多の62勝をマーク(その他、長谷川=8勝、吉井=4勝、佐々木=4勝、伊良部=3勝)。2002年は、多くの日本人投手がメジャーリーグで活躍した年でした。

 ところが2002年を境に、日本人投手の勝ち星は徐々に減っていきます。2003年は38勝(野茂=16勝、大家=10勝、石井=9勝、長谷川=2勝、佐々木=1勝)、2004年も同じく38勝(石井=13勝、大塚昌則=7勝、高津臣吾=6勝、野茂=4勝、長谷川=4勝、大家=3勝、多田野数人=1勝)、そして2005年は28勝(大家=11勝、野茂=5勝、藪恵壹=4勝、石井=3勝、高津=2勝、大塚=2勝、長谷川=1勝)まで減少。そして2006年は、わずか12勝(斉藤隆=6勝、大家=4勝、大塚=2勝)という寂しいシーズンとなりました。しかもこの年、先発を務めたのは大家投手ひとりだけです。

 一方、日本人ピッチャーの成績が下降したころ、逆に注目され始めたのがバッターです。ご存知の通り、2001年にイチロー選手がマリナーズでメジャーデビューし、新人王とMVPを獲得。さらに2003年には、松井秀喜選手がヤンキースに入団しました。彼らの活躍により、投手よりも打者のほうが脚光を浴びるようになったのです。

 しかし、その流れを再び変えるキッカケが2007年に訪れました。松坂大輔投手が鳴り物入りでボストン・レッドソックスに入団したことです。そして松坂投手は、いきなり15勝をマーク。その年、ヤンキースに入団した井川慶投手は2勝に終わったものの、松坂効果で再び日本プロ野球界のエースがメジャーに挑戦するようになりました。

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