大阪桐蔭エース松浦慶斗のセンバツとの違い。フォーム修正と西谷監督が評価したこと
7回4失点。
その数字だけを切り取れば、大きな進化を感じとるのは難しいかもしれない。だが、中身を見れば、松浦慶斗という投手がいかに進化したかが十二分に伝わってきた。
東海大菅生戦に先発した大阪桐蔭のエース・松浦慶斗この記事に関連する写真を見る 屈辱の春だった。大阪桐蔭のエースとして出場した今春の選抜高校野球大会(センバツ)。初戦の智辯学園(奈良)戦で先発した松浦は、初回にいきなり4失点を喫した。チームは終盤に追い上げたものの、6対8で敗戦。西谷浩一監督が率いる大阪桐蔭が甲子園で初戦敗退するのは初めてだった。
その試合後、松浦がこんな言葉を漏らしたのが印象的だった。
「投げていて、自分が逆に押されてしまって。2ストライクに追い込んでいても、自分的には投げる球がなくなっていました」
自信を失っているように見えた。コロナ禍により、調整が遅れていた背景もあった。西谷監督は「ゲームをつくろうという意識が強すぎたんじゃないかな」と語った。前年秋の近畿大会決勝戦に続く、智辯学園戦での連敗になった。
松浦は自身が描く「大阪桐蔭のエース像」に縛られているのではないか----。見ていて、そんなもどかしさも覚えた。昨秋、松浦のこんな言葉を聞いていたからだ。
「大阪桐蔭のエースはみんな、コントロールがいい。コントロールを身につけて、『松浦で負けたら仕方ない』と信頼されるピッチャーになりたいです」
高校入学直後から大型左腕として将来を嘱望された。2年夏には最速150キロを計測し、一時はドラフト1位候補とも目された。だが、今春の松浦はコントロールを気にするあまり、こぢんまりとした投球になっていた。松浦本来の腕の振りが復活しない限り、大阪桐蔭の全国制覇は難しいように思えた。
あれから5カ月近い時を経て、松浦は再び甲子園のマウンドに帰ってきた。センバツベスト8の実力校・東海大菅生(西東京)との初戦の先発投手として。
センバツ終了後、松浦は西谷監督のアドバイスを受けて投球フォームをワインドアップからセットポジションに変えている。その事実だけをとらえると、投球が余計に小さくなるように思えるかもしれない。だが、実際はその逆だった。
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