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大阪桐蔭、甲子園デビューから30年。「王者の歴史」はひとりの中学生獲得から始まった

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

王者の源流~大阪桐蔭「衝撃の甲子園デビュー」の軌跡
第1回

「準備はどうや? 今年も上に行けそうやな」

 センバツ前、長澤和雄は大阪桐蔭の監督を務める西谷浩一に電話で激励した。大阪桐蔭が甲子園出場した際には必ずそうすると決めている。

「出たからには、みなさんから『優勝候補』と言われますから。頑張らせていただきます」

 自信や不安といった感情を表に出さず、西谷は淡々と長澤の言葉を受け入れるという。

「西谷は謙虚ですわ。せやけど、実際は負けん気が強いですから。『何回でも優勝したい』と思うとるくらい貪欲な男です」

1991年夏に初出場・初優勝を飾った大阪桐蔭ナイン1991年夏に初出場・初優勝を飾った大阪桐蔭ナイン 春夏合わせて8度の全国制覇。平成に入ってこの優勝回数は、他を圧倒する。西谷は大阪桐蔭を「最強」と評されるチームにまで押し上げた。関西大の先輩にあたり、1993年に指導者として同校に呼んだ経緯がある長澤が、自分のことのように誇るのも頷ける。

 その名門校が、創部4年目にして甲子園初出場初優勝の偉業を打ち立てたのが1991年の夏。その時の監督が長澤だった。

「もう、30年経つんですね」

 おっとりとした声色に、感慨が帯びる。

「今の大阪桐蔭は全国から優秀な選手が来ますし、チームのレベルはあの頃以上に高いです。当時はPLとか強豪校がどんどん補強していましたけど、選手は自分の力を出せるところに行かないとダメやと僕は思うんです。そんななかうちに集まったのが、あの子らなんです」

 1991年以前の大阪と言えば、PL学園の全盛期だった。1985年夏には桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」で5度目の全国制覇。87年には立浪和義らタレントを揃えた世代が、史上4校目の春夏連覇を達成した。

 そんな最中の1988年、大阪産大高大東校舎が独立し、大阪桐蔭が誕生した。この時、のちに初優勝を遂げるメンバーは中学3年生だった。関西のボーイズリーグなどで名を馳せていた者がこの新設校への進学を選び、高校3年生の1991年に衝撃的な甲子園デビューを飾った。

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