冷や汗シーンが連続。「史上最悪の大誤審」前にあった「死闘」 (4ページ目)

  • 菊地高弘●取材・文 text by Kikuchi Takahiro

 そして、国府田さんはしみじみと、こうつぶやいた。

「監督と何か相通じるものがあったのかなぁ......」

 中学時代に上尾の野本喜一郎監督からも熱心な勧誘を受けていた国府田さんにしてみれば、上尾を倒さないことには川口工業に進んだ自分の決断を否定することになる。どうしても負けられない相手だった。

 8回には国府田さんがセンター前ヒットを打ってチャンスを作り、関さんがライトオーバーのタイムリーヒット。リードを2点に広げる。投げてはエース左腕の関さんが一世一代の快投を披露し、上尾を1失点に抑えて完投。関さんは当時の自分を「ただただガムシャラにやっていただけだった」と振り返る。

 大番狂わせを起こして、川口工は決勝進出を決めた。

 高校生らしいふるまいやマナーが重んじられる現代では、当時の川口工業の野球はにわかには理解しがたい感覚もある。ラフプレーを美化するわけでも、正当化するわけにもいかず、また当事者たちもそれを望んでいない。

 とはいえ、国府田さんの頭を支配していたものは「甲子園に行けたら死んでもいい」と言うほど決死の覚悟だった。40年前にも、甲子園に対してそれほどの思いを持っていた球児がいたことを記しておきたい。

 そして川口工業は、続く熊谷商業との決勝戦に臨む。そこで伝説の「大誤審」が起きるのだった。

後編につづく>>

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