冷や汗シーンが連続。「史上最悪の大誤審」前にあった「死闘」 (3ページ目)
国府田さんと同期であり、当時のエースで3番打者の関さんにも話を聞いてみた。関さんは川口工業の好戦的な態度について「監督さんの教えもありました」と明かしてくれた。
「『相手に弱いところを見せるな』と言われていました。戦う場なんだから、こっちが優勢に持っていかなければいけないと。デッドボールを受けても痛いふりをするのではなく、むしろ威嚇しろという教えでした。国府田に限らず、試合になるとみんなどんどん向かっていく感じでしたね」
そう言う関さんも、打席に入った際に上尾の捕手をにらみつけるシーンがしっかりとテレビカメラに抜かれている。
「いろいろ言うから、『うるさいな』と思って。たぶん、国府田のスライディングのことで何か言われたんじゃなかったかな。話しかけられないとそっちは見ないので」
前編でも触れたように、川口工業にはやんちゃ気質の生徒はいても、決して日常的にケンカに明け暮れていたわけではない。とくに野球部には、本来は威圧的な態度をとるような選手は多くなかった。それだけに、国府田さんは「チームに火をつけるために演じていた」と明かす。
国府田さんたちを指導した大脇和雄監督は川口工業を強化し、初めて甲子園に導いた監督だった。黒縁の広いフレームの眼鏡をかけ、厚みのある体形をした大脇監督は社会人野球出身らしく戦略の長けた知将だった。国府田さんに言わせれば、「基本を重視するオーソドックスな野球」。そんな大脇野球だが、格上の上尾に対しては敵愾心(てきがいしん)をむき出しにした。
上尾戦では、大脇監督はある奇策に出ていた。キャプテンの国府田さんを1番打者に起用したのだ。それは練習試合を含めても初めてのことだった。だが、国府田さんには予感めいた出来事があった。
「上尾戦の前に夢を見ていたんです。それまでずっと3番を打っていたのに、夢のなかでは1番を打っていて、しかも初球にデッドボールを当てられたんです。まさかデッドボールの部分まで正夢になるとは思ってもみませんでしたけど」
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