2020.05.09

明石商・狭間監督がマイナスから目指した
甲子園「初日で辞めようと思った」

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 アメとムチをうまく使い分けながら、明徳では中高で計13年間指導し、中学の野球部監督として4度の全国制覇へ導いた。中学野球界きっての名将となった狭間だが、2005年、地元である明石市が「一芸に秀でた民間人採用試験」で野球部監督経験者を募っていることを知った。

 故郷に恩返しがしたいという思いも働き応募すると、採用が決まった。当時、中学野球で不動の地位を築いていたが、「それ以上に高校の指導者になりたかった」と若かりし頃からの夢を追いかけた。まだ40代前半だったこともあり、「挑戦するなら今」と決意した。

 2006年に明石商のコーチに赴任した狭間だが、待っていたのは明徳野球部とは正反対の環境だった。グラウンドには雑草が生い茂り、練習開始時間になっても部員は集まらず、グラウンドに来たかと思えば遊び半分に動き回る選手もいた。当然のように県大会では勝ち上がることはできなかった。

「まさにゼロから......いや、マイナスからのスタートやったね。正直、初日で辞めようかなと思いました」

 それでも明徳で培ったノウハウを生かそうと、狭間は奔走した。翌2007年からは監督に就任。熱血指導でチーム強化に取り組んだ。

 練習スタイルは当時も今も変わらない。いわゆる"鍛え上げる"スタイルだ。