東北の快速右腕は、先輩の巨人・高橋優貴越えもあくなき探究心を持つ (2ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Nagata Ryotaro

 春日部共栄高校(埼玉)時代の大道は、どちらかと言えば少し頼りなさのあるピッチャーだった。大道が当時を振り返る。

「高校時代は失敗のほうが多かったです。僕が成功したと思えるのは3年の夏ぐらい。あとはずっと(チームに)迷惑をかけていたと思います」

 今でも忘れられない試合がある。高校2年秋の関東大会での東海大甲府(山梨)との1回戦だ。先発した大道は序盤から制球が乱れて、4回で4四死球を出すなど9安打7失点。チームも7回コールドで敗れ、センバツ出場は絶望となった。

「ヒジを痛めていたこともあったのですが、センバツを決める大事な試合で大乱調のピッチングをしてしまった。その前の県大会でも準決勝の花咲徳栄戦で大乱調......。いつもチームに迷惑ばかりかけていたと思います」

 試合後、同校の佐藤充彦コーチから厳しく叱責された。その時の言葉が、大道の心に深く突き刺さった。

「おまえが変わらないといけない。まずは考え方から変えろ!」

 当時の大道は、周囲の選手と自分を比べてしまうメンタルの弱さがあった。「今の自分は何番目?」といった具合に、自分より上のランクに位置するピッチャーのことを妬んだりもした。

 冬の厳しいラントレ(ランニングトレーニング)に没頭するうちに周囲をライバル視する考えは自然と消え、自分自身をなんとかしようと考えをあらためるようになった。

「その時に"孤独"になればいいのかなって感じました。他人がどうこうではなく、自分がすべきことをやり抜く。そうやって過ごしていたらライバルが視界に入らなくなりました」

 すると、冬を越えた大道に明らかな変化が表れた。ある日の練習でふと遠投をしてみると、自分でも驚くほど楽に、そして遠くにボールを投げられるようになった。「これだ!」。その時、大道は確信に近い手応えをつかんだ。

 その後の進路相談では、本多利治監督とこんなやり取りがあった。

「東京六大学は選手層が厚くてリーグ戦で投げるまでが難しい。だけど、投げられるようになればそれだけプロにも近づける。東北(八戸学院大)は1年春からずっと結果を積み重ねていけば、東北のスターになってプロに近づく。どっちがいいか選べ」

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