佐々木朗希の登板回避にあらためて思い出す大谷翔平を育てた監督の言葉 (5ページ目)

  • 佐々木亨●文text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

「おまえで負けたらしょうがない」

 チームを支え続けた大黒柱を中心に、黒沢尻工は最後まで「つながり」を持って戦い抜いた。勝負には敗れたが、試合後の選手たちの表情はどこか晴れやかだった。悔しさはあったに違いないが、最後は「やりきった」とチーム全員が思えたように見えた。決勝戦直後の大船渡のベンチとはまったく違う光景が、そこにはあった。

 仲間と一緒に甲子園へ----。佐々木朗希を含めた大船渡の選手たちは、大会を通じてそう語っていた。東日本大震災に直面し、それでも前を向いて進んできた岩手県沿岸部の人々にとっては、大船渡の35年ぶりの甲子園は"希望"だった。だが最後は、「やりきった」ではなく、「せつなさ」を残して夢は潰えた。

 大船渡の國保監督の決断は、佐々木朗希という特別な才能を守るためには最善の策だったはずだし、トレーナーの観点から言えば「正しい判断」だったに違いない。なにより佐々木が163キロという高校生史上最速をマークしたという事実は、本人の才能、努力はもちろんだが、大船渡だったからこそ実現できたのかもしれない。

 その一方で、「仲間と一緒に甲子園へ」というチームが掲げた目標は、本当に最後まで貫くことができたのだろうか。3年生にとっては高校生最後の大会であり、勝てば悲願の甲子園である。大船渡ナインのなかには「なぜ?」と思った選手もいたのではないか。もちろん、佐々木が投げたからといって花巻東に勝てるとは限らない。だが、「おまえで負けたらしょうがない」という言葉すら言えなかったのは残念でならない。

 選手の将来を守り、育成しながら、甲子園を目指すというのは並大抵のことではない。しかも約2年半という短いスパンですべてを実現させるとなると、さらにハードルは上がる。ただあくまで高校野球は部活であり、勝敗にかかわらず、チームで掲げた目標に対して選手それぞれが自分の役割をまっとうすることが、まず最優先されるべきではないだろうか。そして、選手たちが最善を尽くせるように支えていくのが指導者ではないか。

 選手を守るとは、甲子園とは、高校野球とは......いろんなことを考えさせられた岩手の夏だった。

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