韓国、中国から続々来日。日本の独立リーグがアジアの野球少年を救う (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Asa Satoshi

 当時、まだ正式競技だった野球で中国は開催国枠での出場が決まっており、その強化のために中国野球リーグが結成されたのが2002年。劉も地元にできた北京タイガースの試合に足を運んだ。ともに野球を学んだ何人かの友人は、現在もこのチームでプレーしているという。

 北京五輪はもちろん観戦した。知り合いからもらったチケットを片手に足を運んだスタジアムは、今までに見たことがない立派なもので、劉の野球への思いはますます強くなった。

 それまで大きな国際大会で勝ったことがなかった中国ナショナルチームだが、北京五輪では台湾をタイブレークの末に下すという歴史的勝利を挙げた。だが、劉が最も印象に残っているのはキューバ対韓国戦。試合内容よりも試合後、バスの前で選手を出待ちしていた劉に、名前は忘れたがキューバ代表のベテラン投手がサインに応じてくれたことだ。

 やがて頭角を現した劉は、さらに上を目指すようになった。インターネットで見るMLBやNPBの動画に夢中になり、プロへの夢をかきたてた。

 高校2年の時、地元球団の北京タイガースから誘いがあったが、悩んだ末に海を渡る決心をする。親の知人である台湾系カナダ人のつてをたどり、高校3年からカナダに留学。高校卒業後も中国には帰らず、アメリカのテキサスクリスチャン大学で4年間プレーした。残念ながらMLBのドラフトにはかからなかったが、エージェントからBCリーグのトライアウトを勧められ、晴れて合格を勝ち取り、現在は武蔵HBのブルペンに控えている。

 トライアウトを受けるまで、劉は日本の独立リーグの存在すら知らなかった。今はアメリカの大学野球との違いにアジャストしている段階だ。劉は言う。

「野球の文化が違いますね。だから、今は日本の文化を勉強中です。アメリカの大学野球は金属バットを使っていることもあって、パワー重視です。守備もうしろで守るため、みんな肩が強いです。それに対して、日本では頭を使う野球をします。いわゆるスモールベースボールです」

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