すでにプロ10球団がマーク。福井の公立校に最速145キロ左腕出現 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 春木監督に疑問を伝えると、こんな答えが返ってきた。

「丹生郡は伝統的にいいピッチャーが出るんですよ。山もあるし海もあって、自然豊かな土地で体の大きい、いい選手が出てくる。私が高校球児だった30年前もそういう選手が多かったですよ。岩手の大船渡によく似た土地柄かもしれないですね」

 太平洋側の大船渡市で佐々木朗希(出身は陸前高田市)という怪物が育まれた一方、日本海側の越前町では玉村という好左腕が人知れず育っていた。

 玉村はかつて「宮崎村」という名前だった、山あいの小さな土地で生まれ育っている。陶磁器の「越前焼」が有名で、たけのこの名産地でもある。玉村は幼少期にタケノコ掘りをしていたという。

「宮崎地区はどこに行っても竹林がありますから。でも、意外と見つけるのは難しいんですよ。もう土から出てしまっているのはおいしくないので、土の中に埋まっていて、土が1センチくらい盛り上がっているところを掘るんです。ほとんど埋まっているやつがうまいんですよ」

 宮崎中学校の軟式野球部時代から好左腕として強豪校から注目され、県内の私学からも誘いを受けた。だが、玉村は地元の丹生へと進学する。

「とくに行きたい学校もなかったですし、地元の友達がみんな行くというので、ここに行こうと決めました。まさかこんなに成長できるとは思っていませんでしたけど」

 チームメイトのほとんどは、小学校時代から同じ地域で顔を合わせてきた友人である。そんな居心地のいい空間から、今後は生き馬の目を抜くような世界で戦い抜くことができるのか。そんな不安もついて回るが、玉村はこう言った。

「うまい人たちのなかでは自分が一番下だと思っています。でも、うまい人たちとやることで、今まで以上にうまくなれると思うので、そういう世界に行きたいですね。まだ大学に行くのか、社会人に行くのか、それともプロ志望届を出すのか、全然決めていないんですけどね」

 まだ地中に埋まっているタケノコのようなものかもしれない。だが、このタケノコは地上に現れた時こそ食べごろを迎えるはずだ。絶品のストレートは、胸のすく爽快感がある。

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