センバツ初出場の府立・乙訓高校の
選手が「強豪校にビビらない」暗示

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

乙訓高校、甲子園初出場物語(前編)

 その都は、たった10年という短命がゆえに、幻の都と呼ばれた。

 位置的に奈良と京都に挟まれながら、長きにわたって正確な位置さえも不明で、時代的にも奈良時代と平安時代に挟まれて名前もついていない、まるでエアポケットのような都。

 それが長岡京である。

 今から1234年前の西暦784年、桓武(かんむ)天皇によって遷都された長岡京は、さまざまな制度改革や仏教のしがらみを断ち切り、蝦夷(えみし)の統治を目指すなど国家の立て直しを図ろうとしていた時期に建立された。しかし、幾多の水害や疫病に悩まされたことから怨霊のせいではないかと恐れられ、未完成のまま捨てられた、悲劇の都である。

 奈良時代と平安時代、平城京と平安京はよく知られ、奈良や京都を訪れる観光客は後を絶たないというのに、長岡京の跡地を訪ねてみようという人は決して多くはない。

春夏通じて初の甲子園出場を果たした乙訓高校野球部春夏通じて初の甲子園出場を果たした乙訓高校野球部 京都市の南西、およそ10キロの地にある長岡京市。

 タケノコの産地として知られ、美しい竹林は『竹取物語』の舞台になったという説もある。光明寺のもみじ、楊谷寺(ようこくじ)のあじさい、長岡天満宮のきりしまつつじ、乙訓寺(おとくにでら)のぼたんなど、四季折々の景観を楽しむこともできる。

 しかしJRの長岡京駅に降り立つと、観光の街を感じさせる風情はない。周辺にはハイテク企業が進出しており、数分歩けば何の変哲もない住宅街が広がる。

 京都府立乙訓(おとくに)高校は、そういうところにある。

 そして、乙訓の野球部は甲子園とはこれまでに春も夏も縁はなかった。しかし、このセンバツで甲子園への初出場を果たした。しかも秋の京都大会を1位で突破し、激戦の近畿大会でベスト4へ勝ち進むという、堂々たる戦績だ。

 京都大会では鳥羽、立命館宇治、京都翔英を撃破、近畿大会では準々決勝で奈良の智辯学園を倒してベスト4入りを果たし、センバツへの初出場を決定的なものにした。長岡京のエリアから甲子園に出ること自体が初めてだという快挙に、ついつい、京都と奈良を打ち破って幻の都の意地がついに実を結んだとばかり、歴史好きの興味をそそる物語を勝手に思い描いて乙訓の野球部を訪ねてみた。すると就任して丸3年という市川靖久監督に、さっそく笑い飛ばされた。

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