大阪桐蔭とガチで打撃戦。府立校・大冠は地元中学の軟式出身者が主役 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 エースの丸山惇も中学時代は一塁手兼投手の選手だった。東山監督が振り返る。

「周りの左投げの選手はあちこちに誘われて、丸山は言わば残っていた子。その丸山がこれだけ投げてくれた。ここまでの高校2年半でこの成長は本当に嬉しい」

 その丸山の成長もあって決勝の舞台まで勝ち上がったが、夏の大阪大会で公立校の決勝進出は、1998年の桜塚以来19年ぶり(この年は記念大会のため大阪から2校が出場し、桜塚は北大阪大会の決勝に進出)。また公立校の甲子園出場となれば、当時2年生の中村紀洋(元近鉄など)が投打の中心としてチームを引っ張った1990年の渋谷(しぶたに)以来となる。今回の大冠の活躍を報じるニュースには、必ず「公立の......」というひと言がついた。しかしチームに公立という意識もなければ、私立への気後れもない。

 かつて東山監督にも「打倒・私学」を強調していた時期があったが、3年前にチームを訪ねたとき、当時の主将は「このチームに"打倒・私学"という言葉はありません」ときっぱり口にしていた。

"私学コンプレックス"を消そうと、東山監督の大学(日体大)の先輩である高嶋仁監督の智弁和歌山や、同級生の岡田龍生監督の履正社、ほかにも愛工大名電(愛知)、関西、創志学園(ともに岡山)、松山商(愛媛)といった強豪校との試合を積んできた。

 大会での実績がなかった当初は「近くまで来たので、寄らしてもらいました」と東山監督が偶然を装って、練習グラウンドを訪ね、試合を申し込むこともあった。そうした努力もあり、対戦を重ねるなかで、今では"私学"への意識はチームから完全に消えた。

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