【自転車】激戦のジャパンカップでTeamUKYOが得た次なる目標 (4ページ目)

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

 レース前に語った言葉どおり、土井は開始と同時に飛び出して数名の逃げ集団を構成。その後、終盤の11周目まで逃げ集団でメイングループを先行する走りを続けた。土井が集団に飲み込まれたころからレースは大きく動き、最後はメイングループから抜け出した4名に優勝争いが絞り込まれた。

 4時間に及ぶ長丁場の戦いを制したのは、トレック・ファクトリー・レーシングのバウク・モレマ。2位はランプレ・メリダのディエゴ・ウリッシ。そして日本ナショナルチームから参戦した新城幸也が3位表彰台を獲得した。日本人2番目の上位フィニッシュは、畑中勇介の10位だった。

 土井がレース終盤まで一貫してパフォーマンスの高い走りを見せたことや、畑中の連日のトップテンフィニッシュなど、今年のTeamUKYOは、参戦するだけのレースに終わっていた昨年までのジャパンカップと比べれば、ワールドツアーチームに対して確実に存在感を発揮していたことは間違いない。

 かつては目に見えないほどの高みにあった世界のレベルが、手を伸ばせば触れることができるかもしれない距離にある、という手応えを感じることができたレースだった――とはいえるだろう。

 だが、課題というものは、それを達成すると必ず次の目標が現れる。その意味で、今回のジャパンカップはTeamUKYOが目指すべき次の課題が明確になったレースだった。なぜなら、彼らはワールドツアー勢がひしめくこのような戦いで勝てるチームへと、成長しなければならないのだから。

(次回に続く)

著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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