【自転車】片山右京「TeamUKYOが誕生したふたつのキッカケ」 (3ページ目)
自転車の魅力に目覚めて以来、もっぱら選手として活動をしてきたが、この自転車ロードレースチーム・TeamUKYOでは、あくまで監督という立場である。同じ競技でも関わり方は、まるで異なる。
選手として参戦してきた自転車ロードレースに、今度はチームを結成して自分がマネージメントする立場になろうと思った経緯について片山は、
「こうです、という答えはないんですよ。自分の中で、『いつからだろう、どうしてだろう』と改めて思ったりもしてね。なんだろう、負けず嫌いなのかな……」
と、やや考え込むような様子で話す。
「自分が走るのは愉しいけど、チームをやるのは全然別のことじゃないですか。正直言って、いまだに『つまんねえなあ。自転車に乗りてえなあ』と思いますもんね。なのに、自分が練習しにいくことよりも、前にも言ったみたいに、今はチームの運営に全精力を注ぎ込んでいる」
うーん、なんだろうなあ、と頭の中を探るようにひとしきり自問して、片山は再び口を開いた。
「自分はいろんな人に応援をしてもらって、F1まで行った。だから、今度は自分が応援をしている、ということなのかな。それが、自分がもらったたくさんの援助に対する恩返しでもある。そういうことが混ざりあっているような、そんな気がしますね」
しかし、この理由と同等かそれ以上に、実は片山をチーム結成へ突き動かした明確な事情がある。そのふたつに話題が及ぶと、キッパリとした口調で言った。
「ひとつは、『チェイシング・レジェンド』という映画を観たこと。そしてもうひとつが、『今中大介』」
今中は現在、TeamUKYOのテクニカル・アドバイザーに就任している。
「彼をもう一度、ツール・ド・フランスに連れて行こう、そう思ったんですよ」
著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。
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