パリオリンピック自転車トラックはメダル期待度過去最大 佐藤水菜、太田海也、内野艶和ら注目選手を紹介 (3ページ目)

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ボート競技から転向し競輪選手となった、太田海也 photo by Takahashi Manabuボート競技から転向し競輪選手となった、太田海也 photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る

フィジカルモンスター、太田海也

 男子短距離で最も金メダルに近いのが、太田海也だ。出場種目は前述の3種目で、いずれもメダルを狙える位置にいる。今年初めのネーションズカップ第1戦でスプリント1位、ケイリン3位、チームスプリント2位の結果を出し、第2戦ではスプリント1位、ケイリン1位、チームスプリント2位の好成績を残すなど、世界トップクラスを維持している。

 そんな太田だが、実は高校時代はボート競技に励み、U-19代表にも選ばれた逸材だった。当時は「このままいけば(ボート競技で)バリオリンピックに出られるかもしれない」と考えていたという。しかし大学に入ると、世界はおろか、日本国内でも勝てなくなり、力不足を実感。大学1年の秋、ボート競技のみならず、大学も辞めてしまった。

 太田は逃げるように故郷の岡山に帰ったが、そこで偶然立ち寄ったサイクルショップをきっかけに自転車競技と出会う。「昔から自転車が好きで自分の能力を試したい気持ちがあった」ことから競輪選手を目指し、21歳の時に日本競輪選手養成所に入所。持ち前のフィジカルの強さを発揮し、周囲を唖然とさせる結果を出し続けた。

 そのポテンシャルの高さが認められた形で早期卒業を許され、22歳の時、いち早く競輪デビューを果たした。同時にナショナルチームからも声がかかるなど、とんとん拍子で事が進んだ。その後は、恐るべきスピードで階段を駆けあがり、世界の頂点を目指せる選手へと成長。19歳の時にぼんやりと思い描いていたパリオリンピックへの出場が、25歳となった今、自転車競技の選手として実現した。

「正直、右肩上がりだという自覚はまったくありません。毎日できることをして、試合ではいつもどおり気負わずに、自分の能力を発揮するというだけ。逆にそれぐらい気負っていないほうがいいのかもしれないです」

 太田が日々のトレーニングに全力を傾けられるのも、パリオリンピックへの出場と世界の頂点に立ちたいという思いがあったからだ。かつてのインタビューで「自分はほかの選手が思っている以上に、オリンピックに出場したいと思っています」と力強く語っていた。さらに選手としての自覚も口にした。

「今は、メカニックさん、マッサージをしてくれる方、事務員さんなど多くの方が支えてくれていて、自転車競技に集中できる環境を作ってくれています。それを考えたら、結果を出さないことのほうが失礼だと感じています」

 当然、世界の選手たちが強いことは理解している。オランダのハリー・ラブレイセン、オーストラリアのレイ・ホフマンとマシュー・リチャードソンらについて、かつては「まったくレベルが違う」と話していた。それでも「必ず彼らも倒したい」と並々ならぬ闘志を燃やしている。

 太田が駆け上がってきた階段の頂点には、どんな色のメダルが置かれているのだろうか。その結末を楽しみに待ちたい。

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