吉田麻也が重視する、考える力を養うこと 負けた後の試合のほうが「むしろ大事」

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日本のサッカー界をけん引してきた吉田麻也選手 photo by Noto Sunao(a presto)日本のサッカー界をけん引してきた吉田麻也選手 photo by Noto Sunao(a presto) プロサッカー選手として、日本、イングランド、イタリア、ドイツなどで活躍し、現在はアメリカのメジャーリーグ・サッカーでプレーを続ける吉田麻也選手。数々のチームでキャプテンを務め、数多くの栄光を手にしてきた吉田選手は、今や日本サッカー躍進の象徴的な存在で、サッカー少年・少女にとってあこがれの選手だ。そんな吉田選手に、12月26日(火)から開幕するJFA 第47回全日本U-12サッカー選手権大会を前に、自身の小学生時代の思い出や、サッカーを通して学んできたことなどを伺った。

最後の大会に向けて共に頑張った

――吉田選手はいつ頃からサッカーを始めましたか。

 小学校に入るか入らないかくらいの時だと思います。6歳と7歳離れた兄が2人いるんですが、その兄たちが小学校高学年の時にJリーグが始まりました。もう周りはサッカー一色という感じでしたし、兄たちもサッカーをやっていたので、自然とやり始めましたね。

 遊び=サッカーという感じで、休み時間も放課後もサッカーをしていました。兄たちやその友だちとよくやっていましたが、自分は力やスピードでかなわなかったので、考えてプレーをすることが身についたかなと思います。常にチャレンジャーの立場で励むことができたので、それは本当にいい環境だったなと思います。

――お兄さんたちとはどんな練習をしていましたか。

 兄たちが当時苦手にしていたこと、たとえば両足で蹴ることなどを、早めに僕に教えてくれました。だからプロになっても、両足でしっかり蹴れるのは、そのおかげだと思っています。僕は兄たちとやっていましたが、一人で練習するのであれば、壁当てがすごくいいと思います。壁に当てたボールを止める、そして蹴るは、一人でできますし、ちゃんとボールを蹴らないと、ボールが自分に戻ってこず、取りに行かないといけない。それからコントロールの技術も身につきます。

――地元・長崎のクラブではどんな役割でしたか。

 小さいクラブでしたので、僕が全部やらないといけないようなチームでした。トップ下もやりましたし、ウイングとして駆け上がってクロスも蹴っていました。でも点を獲るのはあまり得意じゃなかったですね。どちらかというと、パスのほうが好きでした。

――全日本少年サッカー大会(現JFA全日本U-12サッカー選手権大会)に出場した思い出や、仲間とともに頑張った試合はありましたか。

 県大会に行けるかどうかのクラブでしたので、全日本少年サッカー大会は、市の大会で負けているはずです。全国大会なんて夢のような世界でした。ただ、小学校6年の時の最後の大会に向けて、結果を出そうとみんなで頑張ったのは覚えています。でもその大会であっさり負けてしまって......。この間、実家に帰った時に、その試合の写真を見ましたが、僕は悔しくて泣いたみたいで、目がパンパンにはれていましたね。

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