中村俊輔が自ら学び考えた小学生時代の練習法と仲間との思い出。親は「手を掛けないで目を掛ける」ことが重要

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  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 2022年シーズンをもって26年間にわたる現役生活にピリオドを打った、日本サッカー界のレジェンド中村俊輔氏。小さい頃から無類のサッカー好きで、毎日のようにボールを蹴って練習に励み、本やビデオなどから学んで自分に合った練習法を編み出していたという。小学生年代には、全日本少年サッカー大会(現「JFA全日本U-12サッカー選手権大会」)の全国大会出場を目指し、仲間と共に厳しい練習の日々を送った記憶を、今でも鮮明に覚えている。そんな中村氏に、小学生時代の思い出や、親がどう子どもをサポートするべきかなどを聞いてみた。

多くのファンに惜しまれつつ現役を引退した中村俊輔氏多くのファンに惜しまれつつ現役を引退した中村俊輔氏

厳しい練習が僕には合っていた

――中村さんは小学生時代、どんなタイプのサッカー少年でしたか。

 僕には兄が3人いて、その兄たちとサッカーをやったり、遊んだりしていたので、自然とその速さや技術が基準になっていました。だから、同学年のなかでは、ボールが遠くへ飛んだし、ドリブルもそれなりにできていました。最近は小学生でもパスワークやコンビネーションを使って、相手を崩すサッカーをする傾向があるので、今ではありえないと思いますけど、監督から「キックオフしたらそのままゴールに向かえ」と指示が出たりしていましたね。

 僕が所属していたチームの監督はとても厳しい方で、勝負にこだわる監督だったんですが、僕は負けるのが大嫌いだったので、その厳しさは合っていましたね。

――当時はどんな練習をやっていましたか。

 そのクラブは幼稚園の園庭を使って練習をしていましたから、一般的な小学生の練習場よりもだいぶ狭いんですよね。だからミニゲームが中心で、基礎練習も徹底的にやりました。足の裏でのボールタッチとか、ドリブルとか、リフティングの練習もよくやっていました。だから足元の技術がすごくつきましたね。

――個人練習としてやっていたことはありますか。

 その園庭には、グラウンドを取り囲むように遊具があったんですが、全体練習の前の1時間くらい、その遊具を相手に見立ててドリブル練習をしていました。

 とくに半分土に埋まっているタイヤが並んでいるところでやるジグザグドリブルは、すごく効果があったと思います。通常はコーンを置いてジグザグにドリブルしますが、人が相手だとその横幅では抜けないんですね。タイヤの場合は、1メートルくらい幅があるので、ダブルタッチなど横幅を生かしたドリブル練習になりました。ときにはタイヤの穴にボールを通して股抜きの練習もしていましたね。

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