ブラジル代表の名選手が「神」と称えたスパイク。モレリア開発秘話 (4ページ目)
水島の影響で、当時サンパウロに所属していた選手たちがモレリアを履くようになった。当時のブラジル代表のエースストライカー、カレカもその一人だった。彼はモレリアを「神が作ったシューズだ」と称賛した。1985年12月にはカレカと契約するに至った。
1986年、カレカの元を訪れスパイクを手渡した安井氏 そして、ミズノにとって歴史的瞬間を迎える。1986年メキシコワールドカップだ。6月1日ブラジル対スペイン戦で、カレカがモレリアを着用してピッチに立った。ミズノのスパイクが世界へ向けてスタートを切った歴史的な日だった。
カレカの影響もあり、1990年のイタリアワールドカップではブラジル代表22選手中15名の選手がミズノのシューズを着用した。
その後モレリアは、1985年の基本コンセプト"軽量・柔軟・素足感覚"を継承しつつ、アップデートを繰り返しているが、安井の中で、スパイクづくりに迷いがなかったわけではない。完璧を求めてつくって完成したもの、最高品質と自負して世に送り出したものを、時期が来れば改良しなおす。このサイクルは本当に正しいのか――。そう自問自答した安井はある結論に達する。
「ヨーロッパの街並みって伝統的でずっと変わらないんですよね。だけど、古い建物の中に入ると室内がアップデートされている。変える必要があるところだけを変えているんですよ。それがこれからの世代に学んで欲しいことです」
現在、安井のこの意志は、開発担当である陳賢太に受け継がれている。陳は安井からモレリアのコンセプトや想いを常日頃から学んでいると語る。
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