Shigekixがパリ五輪後に感じた変化と使命感 先人たちからの賛否にも確固たる信念で次世代への継承を目指す (2ページ目)
パリ五輪で躍動するShigekix。目の肥えたファンもうなるほどのパフォーマンスを見せた photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る
パリ五輪後の反応
ブレイキンの申し子というほどの実績と風格を持ち、一心不乱にダンスに没頭している印象のあるShigekixだが、昨年のパリオリンピックについては、選考期間のときから、少なからず迷いが生まれていた。
ブレイキンの由緒は諸説あるが、1970年代前半のニューヨークで、ギャング同士の抗争を平和的に解決するために、音楽好きな若者たちがダンスで勝負をしたという説が広く知られている。
またピップホップ界のレジェンドDJクール・ハークが、ダンサーの盛り上がるパートが歌の部分よりもベースとドラムなどのリズムが強調されたブレイク部分だと気づき、そこを繰り返し再生。そうして生まれた「ブレイクビーツ」で踊り出したダンサーを「B-BOY(ブレイクボーイ)、B-GIRL(ブレイクガール)」と名づけたとも言われている。今ではブレイキンを踊るダンサーたちをこう呼んでいる。
いずれにせよ、音楽&ダンスに端を発した成り立ちから、ブレイキンにはカルチャーの側面が色濃く刻まれている。一方、パリオリンピックで採用されたブレイキンは、スポーツの枠組みのなかに組み込まれたため、どうしてもスポーツの側面が強く感じられた。
Shigekixもパリオリンピック前のインタビューで、「実際、競技化されている部分があって、つい技術を磨こう磨こうとしていた時期がありました。それも必要なことではありますが、そればかりに気を取られすぎて、逆に自分のスタイルが見えなくなっている状況がありました」と吐露している。
スケートボードやフィギュアスケートのように、高難度の技を披露すれば、それが優位性や高得点につながる種目とは違って、ブレイキンはDJがチョイスした楽曲に合わせることが必須とされ、高難度の技を連発したとしても、必ずしも勝利をつかめるわけではない。
カルチャーなのか、スポーツなのか、それともそれらを融合した新たなスタイルを確立するのか。ブレイキンを長年愛してきたファンのなかでも賛否があるなかでオリンピックが開催された。Shigekixもその状況を理解しつつも、世界中の目が集まるスポーツの祭典を、大きなチャンスだと捉えていた。
2 / 5