【マラソン】筑波大時代の福谷颯太が、関東学生連合で実感した箱根駅伝の重み「箱根は大学として出場してこそ」 (3ページ目)
【他大学の選手とは受ける応援の大きさに差があった】
箱根駅伝当日、5区に起用された福谷は、14位相当で襷を受け、スタートした。この年の箱根は、コロナ禍で応援自粛要請が出されていたため、例年より沿道の人の数も声援も少なかった。
「それでも、箱根駅伝の応援はすごかったです。ただ、関東学生連合と他大学の選手とでは、受ける応援の大きさに差がありました。単独出場校の選手には大学名だけでなく、選手個人の名前でも大きな声援が飛び、沿道の盛り上がりが全然違うんです。一方で、僕は知り合いにしか名前を呼ばれませんでしたし、『筑波、頑張れ!』という声も聞こえましたが、応援のボリュームは圧倒的に少なかったですね。
関東学生連合で走る経験は、個人としても価値があり、チームに箱根を伝える意味でも大きいと思います。でも、『箱根はやっぱり大学として出場してこそだな』と強く感じました」
福谷は、小涌園前(11.7km)からの上りと、最高地点(16.3km)からの長い下りに苦しんだ。だが、箱根神社の大鳥居付近からゴール手前までの長い直線では、両サイドから歓声が絶え間なく注がれ、「最後は、まるで映画のワンシーンのようで、感動しました」という。
最後は力を振り絞り、1時間13分01秒の区間10位相当の記録でゴールした。箱根を走った経験は、福谷のその後の競技人生にどんな影響を与えたのだろうか。
「箱根にはずっと出たいと思っていて、3年の時に出場できたら、実業団でも競技を続けられるのではないかという自分なりの判断基準にしていました。実際に3年で箱根を走ってみると、まだ通過点に過ぎないという感覚だったんです。ここで陸上を終わりにするのはもったいない。このまま実業団で競技を続けて極めていけば、もっと面白くなると思えました。箱根を経験したことで、そうした将来像が見えました。箱根は自分にとって大きなターニングポイントでした」
ただ、悔いもあった。
「4年で一番成熟した時に箱根に出たかったですね。予選会も個人的には前回よりはいい順位(15位)でしたが、チームとして予選を通過できませんでした。もう1回、山でもいいし、2区も走ってみたいと思っていましたが、最後に出られなかったのは悔しく、不完全燃焼でした。箱根駅伝に関しては満足感はなく、悔しい4年間でした」
福谷は、箱根で燃え尽きることなく、悔しさを抱えたまま学生時代を終えた。だが、もしかするとそれこそが、箱根を走った経験そのものとは別に得た最大の財産だったかもしれない。なぜなら、こう思えたからだ。
「社会人になってからが本番だ」
(つづく)
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福谷颯太(ふくたに・そうた)/2000年生まれ、東京都出身。日野台高から筑波大に進み、箱根駅伝は3年時に関東学生連合の一員として5区を走って区間10位相当。大学卒業後は黒崎播磨に入社し、自身3度目のマラソンとなった2026年2月の別府大分毎日マラソンで2時間07分11秒(日本人3位、総合4位)を出し、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。マラソン以外の自己ベストは5000mが13分36秒30、10000mが28分18秒45、ハーフマラソンが1時間00分58秒。
著者プロフィール
佐藤俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。
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