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【マラソン】別大でMGC出場権獲得も、福谷颯太が抱いた悔しさ「吉田祐也さんと黒田朝日君への応援がすごくて...」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【初マラソンから得た教訓】

 意識と練習が噛み合い、月間の走行距離は1000km近くまで伸びた。大阪マラソンの仕上げとして、その2週間前に出場した全日本実業団ハーフマラソンでは、1時間0058秒と上々のタイムで走りきった。初マラソンに向けて、すべてが順調なように見えた。だが、福谷はここから調子を落としていった。

「このままいけば、大阪マラソンでもいい走りができるかもしれない。そう思った瞬間に、急に不安になって、そこからどんどん調子が落ちていきました。本番のペースメーカーの設定も1km2分58秒と3分00秒のふたつがあったんですけど、怖くなって3分00秒を選びました。レース当日はそのペースでもハーフまでしかついていけず、気持ちの弱さが出て、後半ズルズルといってしまいました。ダメかもしれないと思った瞬間に、こんなにダメになるのかと思いましたし、(設定ペースを)3分00秒に決めた時点で負けでした。もったいない失敗でしたが、ここで経験しておくべき経験だったかなと思います」

 初マラソンは、2時間1836秒というほろ苦い結果に終わった。澁谷監督からは、「ハーフを1時間00分台で走れるのだから、2時間07分台は出せたはず。それを出せなかったのは、気持ちの弱さ。それが(チームのエース格である)細谷(恭平)や土井(大輔)との差だ」と厳しい指摘を受けた。

 それから1年後の2025年2月、福谷は再び大阪マラソンに出場。前回よりも時間をかけて準備した成果が出て、2時間1046秒というまずまずのタイムをマークした。

 そして迎えた2026年2月1日、MGC出場権の獲得を目指し、別府大分毎日マラソンに出場した。福谷は当初、過去2年連続で走った大阪マラソン(2月22日)か、東京マラソン(3月1日)に出場しようと考えていた。だが、「最も結果を出せる可能性が高い」と選んだのが別大だった。

「別大は2月上旬開催。学生も社会人も1月に駅伝があり、調整期間が短くなるため、強い選手が集まりにくいのではと考えたんです。自分にはそれが逆にチャンスだなと。澁谷監督にも相談したところ、レースまでの3カ月間の練習メニューをつくっていただいて、その練習をこなせたら自信を持ってスタートラインに立てると思いました」

 それまで1年間かけて距離を踏み、スタミナには自信があった。1kmを2分58秒ペースでいけるぐらいの状態をつくり上げ、2時間06分台を目指すことにした。スタートラインに立つまでは少し不安があったが、「大丈夫。大丈夫」と何度も自分に言い聞かせた。

 勝負にいった別大では、スタートしてから30kmまでは余裕があった。

「練習の成果が出たと思いましたね。でも、後半、吉田(祐也)さん(GMOインターネットグループ)や黒田(朝日)君(青山学院大/現GMOインターネットグループ)との日本人トップ争いになった時、ここからどうやって勝てばいいんだろうと考えてしまったんです。自分のなかに勝つための手札みたいなものがなくて、どこで仕掛けていいのかわかりませんでした。まだ、マラソン3回目で、経験の浅さが最後に露呈してしまいました」

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