【箱根駅伝 名ランナー列伝】千葉健太(駒澤大) 「チームのため」に山下り6区の使命を果たした区間賞3回&区間新1回の勲章 (2ページ目)
【2年時の区間新と紆余曲折を経てつかんだ3度目の区間賞】
2年時は関東インカレ男子2部ハーフマラソンで優勝。平地での実力も高め、学生駅伝では主要区間に起用される。出雲駅伝は前半のロング区間である3区(区間10位)、全日本大学駅伝は当時2番目に長かった4区(区間3位)を担当した。しかし、出雲と全日本で思うような結果を残せなかったこともあり、箱根では再び6区をまかされることになった。
駒大の大八木弘明監督(現・総監督)は「あえて低い目標を伝えました」と設定タイムを「59分20秒」と伝えると、本人はこれを「最低ライン」と受け止め、上を目指した。
千葉はトップの東洋大から3分25秒遅れの5位でスタート。芦之湯(5.1km)の通過タイムは4番目だったが、下りに入ると一気にペースアップした。大平台(13.7km)をトップタイムで通過すると、明治大と東海大を抜き去り、ラスト約3kmの平地区間でも力強い走りを披露。最後は首位に立った早大に2分14秒差まで迫った。
「区間新は狙っていました。とにかく前を追っていけばタイムはついてくる。出雲と全日本はラストが伸びなかったので、今度こそ最後までしっかり走ろうと思って臨みました」
千葉は設定タイムを1分以上上回る58分11秒をマーク。10年間破られていなかった金子宣隆(大東文化大)の区間記録を10秒更新した。
3年時は関東インカレ男子2部ハーフマラソンで2位に入るなど、春先はまずまず順調だった。しかし、その後は故障が続き、苦しいシーズンとなる。出雲と全日本には出場できなかった。それでも箱根駅伝には間に合わせた。
本調子ではなかったが、59分39秒の区間5位と好走。チームの総合2位に貢献した。なお区間トップは同学年の東洋大・市川孝徳で59分16秒だった。
最終学年も小さな故障を繰り返し、「チームに迷惑をかけた」という思いが強かった。1学年下に窪田忍と油布郁人、2学年下に村山謙太と中村匠吾(現・明治学院大監督)を擁するチームは強力だった。出雲駅伝と全日本大学駅伝は下級生に出番を譲る形となり、全日本では「付き添い」としてチームを支えた。
それでも最後の学生駅伝には強い責任感を持って臨んだ。
「箱根は4年生としての責任を全うすることだけを考えていました。すべてチームのため。前を追うことだけを意識して、しっかり追いかけました」
芦ノ湖を9番目に飛び出すと、下りに入り、スピードアップ。青山学院大、順天堂大、帝京大をかわして6位に浮上する。自身の区間記録に4秒差まで迫る58分15秒で走破し、3度目の区間賞を獲得した。
「タイムには満足していませんが、今回は納得しています。山下りは簡単に走らせてくれない舞台でしたが、4年間しっかり走って結果も残せてよかったです」
チームは9区の上野渉、10区の後藤田健介も区間賞を獲得。4年生トリオの活躍で総合3位まで順位を押し上げ、復路優勝を勝ち取った。
「最後は山でチームに貢献して卒業したいと思っていました」
2015年(第91回大会)から函嶺洞門の閉鎖に伴ってコースが変更されたため、58分11秒というタイムは参考記録になった。シューズの進化もあり、近年6区の記録は急上昇している。しかし、区間賞3回、区間新1回を成し遂げた千葉が、箱根駅伝史に残る「名ダウンヒラー」だったことは間違いない。
●Profile
千葉健太(ちば・けんた)/1990年5月20日生まれ、長野県出身。佐久長聖高(長野)―駒澤大―富士通。高校時代から駅伝で強さを発揮し、全国高校駅伝に3年連続出走を果たし、3年時には日本一を経験した。箱根駅伝では1年時から4年連続で6区に出走。3年時を除く3回で区間賞を獲得し、2年時には当時の区間新記録も樹立した。
【箱根駅伝成績】
2010年(1年)6区1位・59分44秒
2011年(2年)6区1位・58分11秒 *区間新
2012年(3年)6区5位・59分39秒
2013年(4年)6区1位・58分15秒
*区間新は当時
著者プロフィール
酒井政人 (さかい・まさと)
1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。
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