選手兼監督としてニューイヤー駅伝出場を目指す神野大地が直面した厳しい現実「今のままじゃ勝てない」 (3ページ目)
【僕も東日本までに仕上げないといけない】
一方で、神野は指導する側としての反省も語った。
「4月からホクレンまで、合宿を一度もやっていないんです。6月以降、例年に増して暑かった東京で、選手も不満を漏らすことなく練習に取り組んでくれました。ただ、もっと気象コンディションを勘案した練習内容にすべきだったとか、ホクレンをチームとしてのターゲットレースにするからには、合宿を入れるなど環境をもう少し整えるべきでした。
また、千歳大会から網走大会まで北海道に滞在しましたけど、ホクレンに向けてみんなで気持ちを高めてレースに臨もうという雰囲気づくりなど、まだできることがあったかなと思います」
神野自身もまた、指導者としてのあり方、また、チームの運営方法について模索中だ。
「みんな、もう大人なのでジャブ程度に言うことがあっても、基本的には個々の選手のやり方にまかせてきました。でも、俯瞰して見すぎたと思っています。今のまま東日本実業団駅伝を迎えてダメだったら、すごく後悔が残る。そうならないように、僕もスタッフもやれることをやっていきます。
選手側から見れば、僕を含めてスタッフも初めてで、不安があるなかでがんばってくれていると思うので、これからもお互いがお互いのせいにせず、試行錯誤しながら一緒にいいチームをつくっていきたいです」
指導者なら誰もが通る道であり、戦えるチームづくり、選手の成長が第一という信念もブレていない。プレイングマネージャーになってまだ数カ月だが、表情には選手時代とは異なる厳しさが宿ってきているように見える。
「今回、網走のレースを見ていてスイッチが入りました」
神野はそう言った。いったい、何のスイッチが入ったのだろうか。
「チームの戦力を客観的に見たときに、僕も東日本までに仕上げないといけないと思いました。そこに向けてガムシャラに取り組みます。僕の取り組む姿勢や走りを見せることで、選手のみんなに何かを感じてもらえたらなといいかなと。これだけ休んでいた自分に、みんな負けたくないだろうし、僕に競り勝つことで自信になるかもしれない。北海道遠征が僕の足にスイッチを入れてくれました」
神野自身は6月末、この2年間ほど悩まされていたジストニア(神経系の障害により、筋肉が自分の意思とは関係なく動いてしまう病気)の手術を受け、まだ本格的には走れていないが、勝負の夏合宿ではチームを引っ張る姿が見られるかもしれない。
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。
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