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大阪で黒田朝日が好走!「2025青学マラソン3連チャン」のラスト、東京マラソンに出場する真打・太田蒼生はどんな走りを見せるか

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

最後まで競り合う展開のなか、日本人学生記録を出した青学大・黒田 photo by Jiji Press最後まで競り合う展開のなか、日本人学生記録を出した青学大・黒田 photo by Jiji Press

2月24日に行なわれた大阪マラソンでは近藤亮太(三菱重工)が2時間05分39秒の初マラソン日本最高記録で2位(日本人トップ)に入るなど、日本勢上位6名が2時間6分30秒を切った。そのなかでも青山学院大のエース、黒田朝日(3年)は堂々たるレースを展開し、初マラソンながら日本人学生最高記録(2時間06分05秒)で6位(同3番手)に入り、存在感を発揮した。

箱根駅伝の総合優勝後、世界陸上のマラソン代表選考レースにおける青学勢の躍進はなぜ続くのか。黒田のレースぶりと本人のコメントからひも解いてみる。

【大阪でも外さなかった男】

「外さない男」とは、青学大の黒田朝日のことだ。

 トラックでも、駅伝でもいつでも実力を発揮する。インタビューをしても淡々としている。風呂敷を広げない。いつも、身の丈。大学三大駅伝の成績を見てほしい。

●2年時
出 雲 2区 区間賞
全日本 2区 区間2位
箱 根 2区 区間賞

●3年時
出 雲 3区 区間3位
全日本 4区 区間賞(区間新)
箱 根 2区 区間3位(区間新)

 区間賞3回、区間2位が1回、区間3位が2回。そんな黒田が大阪マラソンに出るというのだから、「絶対に外さないだろう」という予感がしていた。

 当日の大阪は雪が舞う肌寒い天候。黒田はペースメーカーが先導している間は集団の中位から後方に位置し、消耗を避けるレース運び。駅伝の時と同様、時計をせず「黒田WAY」を貫いている。

 3度目の折り返し地点での誘導ミスで、ほかの選手たちと同様、余分に走ってしまうアクシデントがあったが、余裕を持った走り。レースが動き始めたのは、30km過ぎの坂を超えたところからだ。

「集団の前の方で走っていたので、なんとしてもついていこうという気持ちでした。30km過ぎの上りを終えてからの下りでちょっと離されてしまったんですけど、なんとか食らいつけたのでよかったなと思います」

 坂はうまく上ったが、そのあとにエチオピア勢がペースを上げたため、黒田はいったん離されてしまった。しかし、そこで粘ったことで、先頭集団のペースが落ち着いたところで再び集団に加わることができた。運も味方したし、黒田の実力も十分に備わっていたということだ。

 39km過ぎからは、イフニリグ・アダン、アブティサ・トーラのエチオピア勢と近藤亮太(三菱重工)に離されてしまったものの、黒田の粘りは続いた。

「終盤の競り合いで、あそこからペースアップする体力はほとんど残っていませんでした。それでも、原(晋)監督から『30km以降が勝負だぞ』と言われていたので、そのとおりしっかり粘れたと思います」

 黒田の強みは、離されたとしても自分の状態と対話しながら走っているので、気持ちが折れないことだ。勝てなくとも、自分のベストを尽くす。それは駅伝でもマラソンでも変わらなかった。

 42.195kmの旅路の終わりが頭にちらついてくる40km過ぎからも、自らのペースで走り切り、ガッツポーズでフィニッシュ。

 タイムは2時間06分05秒で、若林宏樹先輩の日本人学生記録を2秒上回っていた。もしも、折り返し地点でのロスがなければ......2時間5分台の可能性は、十分にあった。

「30km過ぎの坂を越えてから、今まで味わったことのないキツさでした。もう走りたくないです(笑)」

 レース後、穏やかに話すあたり、いかにも黒田らしい。

「記録は全然、頭にはなくて。本当に走りきることだけという感じでした」と話したが、最後まで勝負に加わった実力は大いに評価したい。

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著者プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

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