パリオリンピック女子やり投 北口榛花はさらなる高みへ「満足できない理由があるのは幸福」 (2ページ目)
【ライバルに与えたプレッシャー】
もちろん、その距離を投げても安心したわけではなかった。予選でも調子がよかった選手はいたし、自己記録が自分より上の67mから71mまでの選手が4人もいた。
「コーチは1本目が終わると『今日は68mだ』と言ってきたので『マジかーっ』と思ったけど、昨日の夜は自分が70m投げる夢を見ていたので、『1投目が65mなら、70mは投げられる』というイメージもありました。
決勝に残ったメンバーは全員実力があるので、いつもどおりに6投目までゆったり待っていられないなという気持ちで、もっと記録を伸ばしていこうと思っていました」
だが、北口の1投目のビッグスローは本人の気持ちとは関係なく、今季のベストが65~66mに止まっている選手たちに大きなプレシャーを与えた。予選は65m52のシーズンベストを投げて一発通過だったマリア・アンドレイチク(ポーランド/東京五輪銀・自己ベスト71m40)は決勝では力みからか、1投目の62m44が最高。予選は64m57で68m43の自己ベストを持つサラ・コラク(クロアチア)も2投目の63m00止まり。昨年の世界選手権2位で、5月に66m70の自己新を投げていたフロル・デニス・ルイスフルタド(コロンビア)は2投目の63m00が最高で、その後は記録を伸ばせる気配は見えなかった。
結局2位以下は63m台で、3位は2022年世界選手権8位のニコラ・オグロドニコバ(チェコ)、2位は2021年東京五輪以降の世界3大会では入賞していないジョー・アネ・ファンダイク(南アフリカ)で、メダル候補はみな、沈む結果に。選手たちに襲いかかるような大歓声に包まれるオリンピックの大舞台で、北口の1投目はライバルに強大なプレッシャーをかけたということだ。
北口自身、昨年の世界選手権で優勝したことで、パリ五輪の金メダルを期待されるようになったプレッシャーが彼女にのしかかっていた。だからこそ、さらに進化しなければいけないと思い、そのための試みのなかで発生した不調に、不安も感じた。だが、パリで金メダルを獲れたことで、「今までの不安や重圧から解放されてホッとした」と涙を流した。
「東京五輪でケガをしたことが、一から自分を見直すキッカケになり、同じことを絶対に繰り返したくないと思い、この3年間はしっかり準備をしてきました。予選のあとはハラハラしたけど、ケガもなく終えられてよかったです。
昨年の世界選手権も含めていい結果を出すことができたが、それでも満足できないということがわかりました。勝とうと思って臨んだ試合で勝つことは、そんなに簡単ではないのでうれしいけど、それでも満足できない理由があるのはとても幸福だと思います」
今回も競技場に向かう時は緊張したが、入ってからは自分のやるべきことに集中し、緊張をまったく感じなかったという。その心の持ち様は、"真の王者"の姿であり、風格でもあるのだろう。北口は、それをオリンピックの大舞台で証明した。
プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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