パリオリンピック100mハードル・田中佑美、準決勝敗退も「3本走れてラッキー」 大舞台で掴んだ手応えと見えた課題 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【トップレベルのリズムは見えた】

予選も悪くない走りで及第点の走りを見せた photo by JMPA予選も悪くない走りで及第点の走りを見せた photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る だが、8月9日の準決勝は、世界のトップレベルを真の意味で感じる、厳しいレースになった。

 一番外側の田中の隣のレーンは、12秒37の自己ベストを持つピア・スクジショフスカ(ポーランド)。敗者復活ラウンドより若干速い入りはしたが、12秒55で組4着になったスクジショフスカには2台目を越えてからスッと差を広げられ、12秒91の組7着での準決勝敗退という結果になった。

 それでも田中の表情には満足感があった。オリンピックでしか経験し得ない、トップ選手との違いを肌で感じることができたからだ。

「隣の選手に最初から訳がわからないほど離されるのではなく、ほどよいポジションでレースができました。彼女のテンポに合わせれば(自分もついて)いけるとわかっているのに、それができない歯がゆさもすごく感じたけど、12秒55の選手の横で走ってリズムが見えました。合わせることができなかったのは、私が記録を伸ばすうえで壁になっているリズムの違いみたいなものだと感じました。

 また、トップの選手もみんな緊張していると思いました。自分が敵わないような選手たちもそれぞれの葛藤や緊張があって極限状態のなかでやっている。私ひとりではなく、みんな大変なんだと思ったら、逆に気持ちが軽くなりました。

 準決勝まで3本走れたのは本当にラッキーだと思います。そのなかで、体も心もすり減って疲れたという気持ちと、『疲れたと言ってる場合じゃないだろう。一生に一度かもしれないんだから』という気持ちが心のなかで押したり引いたりしながら、最後は緊張するという......。準決勝のレース前も本当に緊張したけど、自分に正直な気持ちで走ろうと、周りがすごくうるさくて何も聞こえないなか、日本語で『緊張する!』って大声で叫んでいました」

 昨年の世界選手権で自分の力をまったく発揮できなかったことが、トラウマになる恐れも心のなかにはあった。だがこの大舞台で3日間、1日1本ずつレースを走る経験をして、殻を打ち破れた気持ちになれた。同時に自分自身の現在地もはっきりと見えてきた。

「これまでずっとあった(自己ベストの)13秒の壁のように、自分のなかにある12秒7台、6台、5台という記録の壁を、一気にジャンプアップするにはまだ(力が)足りなかったなという感じはします」

 来年の世界陸上東京、そしてその先へ。田中は今後に向け、確かな手応えを得るパリ五輪となった。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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