2020.09.22

女王・ヘンプヒル恵に訪れた試練。
競技から逃げて見つけた戦う意味

  • 折山淑美●取材・文text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Mukarami Shogo

~クイーン・オブ・アスリートを目指して~
ヘンプヒル恵インタビュー 競技編

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"七種競技"とは、2日間にわたり、トラック競技で100mハードル、200m、800mを走り、フィールド競技では、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、やり投げと合わせて七種目を戦って、総合力を争う競技だ。その"七種競技"で日本のクイーン・オブ・アスリートとしてトップにいるのが、ヘンプヒル恵(めぐ/アトレ)である。

まもなく開催される日本選手権に向けて調整中だというヘンプヒル恵 彼女の輝かしい競技歴は、京都文教中学校時代から始まる。進学とともに陸上競技を始め、中学3年生の時に四種競技で出場した、全日本中学校選手権で優勝を果たした。高校では七種競技で2年生の時に世界ユースに出場し、その直後のインターハイでは優勝。3年生のインターハイでは、七種競技を日本ジュニア新記録で連覇したほか、100mハードルでも勝って2冠を達成している。中央大学進学後は、1年生で日本選手権を制して以降、3年連続で制覇。3年生の2017年にはアジア選手権で2位に入り、日本女子七種競技を牽引する存在になった。

「何をやってもうまくいく感じで、練習を一生懸命やればやるほど強くなる。だから正直、一つひとつの試合をあまり覚えていないんです」

 しかし、圧倒的な強さで勝ち続けていたヘンプヒルを悲劇が襲った。大学3年生の2017年8月だった。

 その年の6月上旬に開催された日本選手権は自己ベストの5907点で優勝し、1カ月後のアジア選手権は2位。初出場を予定していた8月下旬からのユニバーシアードへ向けて、まさに絶好調だった。<

 その大会後の合宿中に、左ひざ前十字靭帯と内側半月板を損傷する。重傷だった。

「ケガをして一度立ち止まったときに『なぜ私は競技をやっているんだろう』と感じたし、勝てなくなった時は『自分はもういらない存在になったのでは......』と思いました」

 どん底に落ちた瞬間だった――。