為末大の試行錯誤。五輪の悔しさを糧にトップレベルを生き抜いた戦略 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

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 そうした流れのなか、為末は00年に48秒47の日本学生新記録を出してシドニー五輪代表になった。そのシドニー五輪では、予選はカーブのきつい第1レーンだったが、5台目のハードルまでは自己記録を上回るペースで突っ込み、先頭でホームストレートに入ってきた。

 それは、「初めての五輪で興奮して、頭が真っ白になっていた」状態での走りだった。最後の直線は強い向かい風が吹いていた。9台目のハードルでその風にあおられ、振り上げた足をハードルにぶつけてインフィールドに倒れ込んだ。そこから立ち上がってゴールしたが、結果は61秒81の最下位。

 もし準決勝に進出し、自己ベストのタイムを記録できていれば、着順で決勝進出も果たせていたであろう。それだけに、なんとも残念な結末だった。

「あの時に悔しい思いをしたことは、ずっと覚えています。一応ゴールはしたけれども、しなかったのと同じようなものだから......。五輪という舞台でゴールできなかったのは、すごく悔しかった」

 そんなふうに振り返るほど、為末にとってシドニー五輪は悪夢のような出来事だった。

 だが、その悔しさがエネルギーになった。01年はヨーロッパを転戦して経験を積んだ。6月に日本選手権を初制覇。8月の世界選手権では、準決勝を全体の2番目となる48秒10の日本新で通過すると、決勝ではシドニー五輪銀メダルのアル・ソマイリー(サウジアラビア)に競り勝ち、47秒89と直前の日本新を更新して銅メダルを獲得した。

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