神野大地が激白「僕はまだ五輪の切符を手にするレベルじゃなかった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by AFLO

 しかし、17.45キロ付近、神野は前をいく4人から遅れ始めた。

「ペースが上がった時、4人は耐えられるきつさだったんです。でも、僕はそこで限界がきてしまった。もうマジできついって感じですね。マラソンって山あり谷ありなんですけど、そのなかで決して越えてはいけないレッドゾーンがあるんです。そのゾーンを振り切って、『あーこれは無理だ』って思い、ついていけなくなりました」

 神野は苦しそうに喘ぎながらも懸命に腕を振るが、4人についていけない。しばらく単独走で4人を追ったが、19キロ過ぎで第3集団に吸収された。レッドゾーンを越えた神野の足に再び4人に追いつくだけの余力は、もう残っていなかったのだ。

 優勝は、この4人と前をいく設楽に絞られるのかと思った。

 だが、その後、4人のぺースが落ち、26.5キロ付近で橋本崚(りょう/GMO)、大塚祥平(九電工)、藤本拓(トヨタ自動車)らが追いつき、7人の集団になった。

「僕が前に出た時ペースが上がったけど、また落ちて後続と一緒になった。それを見ているとレースって本当に運もあるなって思いました。もし、あの時、僕が前にいかなければ、もしかすると前の選手が落ちてきたかもしれない。その時々で冷静な判断をする力も大事だなってあらためて思いましたね」

 レースは、39キロ手前では、設楽を吸収し一時は8人の集団になった。

 ここが勝負と判断したのか、39キロ付近で橋本がスパートし、中村、大迫、服部がその後を追う。すると、39.5キロで中村が先頭に立ち、大迫、服部が追走した。

 東京五輪マラソンの代表枠は、この3人のうちの2名に絞られた。

「レースを見ていると、仮に僕が39キロまで我慢してこの集団についていっても、ただそこにいただけで終わったなぁと思いましたね。39キロ以降は自分の実力じゃ戦えなかった。あそこからの中村さん、大迫さん、勇馬の上がりは本当にすごかった。あの3人のなかに入るにはかなりの力が必要で、僕はその領域には入っていけなかった」

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