2019.10.30

日本男子マラソンの礎を築いた男。
高岡寿成が1万mに固執したわけ

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 決勝はその3日後の25日。前日に30歳になったばかりの高岡は、冷静に走った。伊藤監督の指示は「途中で8人くらいが抜け出すだろうが、それを追わずに我慢しろ。終盤になれば予選の疲労で落ちてくる選手が必ずいるから、それを拾えば入賞できる。ラストスパートには自信を持っていい」というものだった。

 前半は細かいペースの上げ下げがある中で、高岡はしっかり対応して集団の中に位置を取り、日本記録も狙える速いペースで5000mを通過した。7200mすぎからはポール・テルガト(ケニア)が先頭に立って、1周のペースを67秒から62秒に上げると、8人が抜け出した。高岡は伊藤監督の指示どおりそれには反応せず、67~68秒のペースを保ってチャンスを待った。

 8000mすぎには先頭集団から2選手が遅れ始め、8800m手前でそれを高岡の集団が飲み込んで、7位集団が5人になる展開になった。その中で落ち着いた走りを続けていた高岡は、残り300mからスパート。ラスト200mは26秒台で走りきって自己記録の27分40秒44で7位入賞を果たした。

 レースの優勝争いは、96年アトランタ五輪以降、常に激しい競り合いをしていたハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア)とテルガトという、ふたりのランナーが激しく競り合い、五輪史上最も僅差の0秒09差でゲブレセラシエが五輪連覇を果たしている。

「伊藤監督の記録(27分47秒35)を抜けたことが、何よりうれしかった。五輪入賞が大きな目標だったが、海外遠征などいろんな経験をさせてもらえたことが生きたと思う」

 こう話した高岡は、その2日後の5000m予選でも第2組でトップに0秒75差の13分29秒99で5位になり、日本男子64年ぶりの決勝進出を果たした。その3日後の決勝では、前半は先頭を伺う位置で積極的な走りをしながらも、ペースアップした終盤に置いて行かれて最下位の15位。だが、日本男子の2種目決勝進出は、36年ベルリン五輪の村社講平以来。日本男子トラック長距離の歴史を作ったことは間違いない。

 高岡の戦いは、そこで終わったわけではなかった。