2018.03.07

実業団でも2時間6分台。大迫、
設楽悠ら「オレ流」と違うMHPS流

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 個人のマラソン記録でも、2014年の東京マラソンで松村康平がサブテン(2時間10分以内)を達成すると、井上、木滑がそれに続いた。マラソンでいい流れができたのは、黒木が監督に就任する前、旭化成から出向していた児玉泰介監督(現・愛知製鋼監督)が指導している1999年だった。

「1999年に小林誠治が初マラソンで2時間12分07秒(当時の延岡西日本マラソンの大会新記録)を出してから、みんなが本気でマラソンに取り組むようになって、2時間11分台や10分台前半を出す選手が増えてきました。まだ弱いチームだったので、(当初は)12分台の記録でもプレッシャーになっていたんですね。だから、選手たちには2時間8分台や7分台を目指すのではなく、まずは『日本人トップになって代表になる』ことを目標にさせました。

 すると松村が、3回目のマラソンでアジア大会の日本代表に選ばれた。やはり段階を踏ませなければダメだということですね。今の選手は明らかに力が足りなくても『東京マラソンを走りたい』と言ってくる。昔ならどのチームの指導者もそれを却下していたのに、最近は走らせてしまうことが多くなったと思うんです。でも僕は、その選手に合ったレベルのレースに挑ませて、そこをクリアしたら次の段階にいかせています」

 黒木は、2008年から日本陸連の長距離マラソン強化スタッフも務め、サブテンの可能性があるトップクラスの選手を海外合宿や遠征などで育成する役割を担っている。そこには松村をはじめ、ロンドン五輪で6位入賞した中本健太郎やリオデジャネイロ五輪代表の石川末廣と佐々木悟、さらに今井正人などが参加していた。最近では井上、設楽啓太・悠太、神野大地、鈴木健吾なども合宿に呼んでいる。

「初めは高地トレーニングのデータを取る目的もあったんですが、僕は選手たちに『自分で物事を考える選手になってほしい』とも考えていました。だから、練習メニューは試合に向けて僕が作っていたのを、基本的にはフリーにすることが多くなってきました。速いペースでいく選手、ゆっくりいく選手がいて、中には朝から120分くらい走る選手もいます。

 最初は躊躇(ちゅうちょ)している選手も、誰かがやりだしたら一緒にいくようになる。サブテンの選手が続々と出たときの中国電力がまさにそれと同じ状態で、何も言わなくても選手たちが競争していたんです。近年は記録が伸びていませんでしたから、自主性を育てるのと集団走のバランスをうまくとることも考えていましたけどね」