山の神・柏原竜二が語る引退の真相。「駅伝に逃げてはいけないと...」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 ただ、入社当初は、「まだメンタルをやられていた時期だった」と振り返る。箱根駅伝で名を上げた柏原は、競技とは別のところでの"戦い"を強いられていた。

「僕が箱根に出たころは、ちょうどSNSが流行りはじめた時期で、そこまでネットリテラシーが確立されていませんでしたからね。普通に生活をしているだけなのに、『柏原が何を買っていた』『柏原が何を食べていた』と書かれたり、時には、盗撮されたりしたこともありました。そのうちに他人が怖くなり、練習にも集中できなくなってきて......。ひとりで走りづらくなっただけじゃなく、電車にも乗りたくないという状態になっていました」

 そんななかでも、柏原は社会人2年目の秋に照準を合わせ、初マラソンに向けて準備を進めた。1年目の2月に出場した青梅マラソン(30kmレース)では、1km3分ペースを意識して30kmを1時間31分49秒で走り、3位に入る。アップダウンの多いコースで、25kmから動きが止まって「最後はヘロヘロになった」が、「平地でのレースになれば余裕ができるだろう」という計算ができたという。だがその後、オーバーワークが原因でアキレス腱を痛めたことで、走りの感覚が狂い始める。

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