高橋尚子の世界最高記録から15年。なぜ日本マラソンは弱くなったか? (5ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 その結果、「2時間20分前後で走らなければ、五輪代表にはなれない」という危機感が日本の女子選手のなかに生まれた。また、それに挑戦するのが"常識"にまでなったのだ。

 その象徴ともいえるレースは、2000年11月21日に行なわれたシドニー五輪代表選考会の東京国際女子マラソンだろう。この大会には、1996年のアトランタ五輪を制したファツマ・ロバ(エチオピア)や、1992年のバルセロナ五輪金・1996年のアトランタ五輪銀のワレンティナ・エゴロワ(ロシア)も出場していた。

 それでも、そんな実力者を相手に臆(おく)することもなく、千葉真子は下り基調の最初の5kmを16分18秒でぶっ飛ばし、それを山口衛里が16分24秒で追いかける展開になる。さらに10kmまでは千葉が16分26秒、山口が16分22秒で走り、その後も両者は16分30秒台で走って競り合った。そして最後は、山口が独走態勢を作って30kmまで16分台を維持し、2時間22分12秒でゴールした。

 この記録は、女子だけのレースでは高橋に次ぐ世界歴代2位。山口がこれほど勇気を持って突っ込んでいけたのは、それだけの練習量をこなしているという自信があったからだ。

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