大分国際車いすマラソン優勝の佐藤友祈、「東京では金メダル獲ります」 (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

 メダリストとして帰国後は祝賀会や報告会などで多忙を極め、約3週間もレーサー(競技用車いす)に乗れない状況で、復帰戦に選んでいた今大会は直前2週間の練習のみという強行出場となった。だが、初マラソン挑戦で2位に入った昨年の記録(1時間48分52秒)には及ばないものの、1時間49分32秒でフィニッシュして初優勝。「しんどいレースだったが、なんとか面目を保てた。応援のおかげです」とホッとした表情を見せた。

 1989年静岡県に生まれた佐藤は、21歳のときに脊髄炎を患い、両脚が動かなくなり、左手にも麻痺が残った。落ち込む佐藤を前向きにしたのはリハビリ中にテレビ観戦したロンドン・パラリンピックだった。車いす選手が風を切って走るスピード感に、自身の中の"障がい者観"が一変。

「車いすでも、こんなにアクティブになれるんだ。僕も、次のリオ大会に出たい!」

 すぐに見よう見まねで陸上競技をはじめたが、伸び悩む。「リオに間に合わない」と焦り、よりよい練習環境を探すなか、先輩の助言もあり、14年春、思い切って岡山市に練習拠点を移した。新生活が始まって1カ月ほど経った頃、もう1つの転機が起こる。練習で訪れた競技場で、颯爽とレーサーを駆るアスリートの鍛え抜かれた上半身に佐藤の目はくぎ付けになった。北京、ロンドンのパラリンピアン、松永仁志だった(のちに、リオにも出場)。

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