競輪・山崎賢人を突き動かす「記憶に焼きついた光景」とは 失意の時期に見つけた答えで世界一となった過去を明かす (3ページ目)
2026年から競輪に専念している山崎 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る
【再び、あの光景のために】
ナショナルチームの引退は、サブメンバーでありながらバレーボールを最後まで続けた思いと同様、『自分の決めたこと』に従った結果だ。
「自分で設定した目標をクリアできなかったら辞める、と決めていました。2024年に(世界選手権で)金メダルを獲りましたが、あの時も、もしメダルが獲れなかったら辞めると決めていて、2025年は結局(世界選手権で)メダルを獲れなかったので、ここはもう潔く辞めようと思いました」
パリオリンピックの不出場には「すごく落ち込んだ」というように、ナショナルチームでの6年間は辛いことのほうが多かったように見えるが、本人は「有意義な時間だった」と振り返る。
「すごくよかったです。一番はメンタル的な面ですね。すごく責任を持ってレースを走りましたし、そのなかで人とのつながりを感じました。応援してくれる人がいて、ダメな時には怒ってくれる人もいました。いろんな人がいて自分は支えられているんだなというのを本当に実感できました」
最後に辛く厳しい状況の時にどうやって乗り越えてきたかを聞いてみると、山崎は「自分を応援してくれている人がいるのは一番大きいですね」と話したのち、一呼吸おいて語り始めた。
「今もずっと世界選手権の光景が記憶に残っているんですよ。応援してくれる人たち、喜んでくれる人たちがいるので、自分も手を抜けないし、下手なレースもできないですし、弱い自分を見せたくもないです」
再び、あの光景を見るために――。
競輪に専念した今、GⅠで優勝すれば、きっと同じような光景を見られるに違いない。山崎にそう語りかけると、「そうですね。またそういう光景が見られると思います。優勝したらまた取材に来てくださいね」。そう言って柔和な笑顔を見せた。
人を惹きつける魅力を持つ山崎。これからさらに多くの競輪ファンが彼の走りと人柄に魅了されることだろう。それだけの実力と人間性を持っているのだから。
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