【平成の名力士列伝:寺尾】「今日一日の努力」を積み重ね息の長い力士人生を歩んだ「小さな鉄人」 (3ページ目)
【満身創痍ながら39歳まで続いた現役生活】
この場所を境にその後は、ほぼ平幕で過ごすことになり、平成9(1997)年3月場所13日目の旭鷲山戦では右足親指を骨折し、翌日から入門以来初の休場。初土俵からの連続出場記録は当時史上5位の1359で途切れてしまったが「意識しすぎていたのがダメだった。記録が途切れてよかったと思っている。初心に戻って相撲が取れるようになった」と逆に吹っ切れたようだった。
平成13(2001)年5月場所を最後に幕内復帰はならず、力士生活晩年はさらに休場が目立つようになった。満身創痍の体で幕下への陥落が避けられなくなった平成14(2002)年9月場所千秋楽、39歳で引退を表明。"不惑関取"にはあと3場所及ばなかった。それでも「40歳という目標があったので幸せでした」と最後まで前を向きながら土俵を去った。
「今日一日の努力」
ファンにサインを頼まれると色紙には四股名の横に必ず、そうしたためた。入門時は関取になることすら想像できなかった。その日の稽古が終わると「明日、もう一日頑張ろう」。その積み重ねで痩せっぽちの少年は"鉄人"と言われるまでになり、ファンの記憶に残る名力士となった。
「お相撲さんは好きだし、相撲界も好き。だけど、相撲は好きではなかった。相撲を取るのが苦しかった」と引退直後、ポツリと語ったことがある。令和5(2023)年12月17日、うっ血性心不全のため、60歳の若さで亡くなった。"鉄人"と言われていたが、心臓に持病を抱えながらの現役生活は、われわれの想像をはるかに超えた過酷なものだったに違いない。
【Profile】
寺尾常史(てらお・つねふみ)/昭和38(1963)年2月2日生まれ、鹿児島県姶良郡出身/本名:福薗好文(ふくぞの・よしふみ)/所属:井筒部屋/しこ名履歴:寺尾→源氏山→寺尾/初土俵:昭和54(1979)年7月場所/引退場所:平成14(2002)年9月場所/最高位:関脇
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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