検索

【平成の名力士列伝:隆乃若】眠れる才能を開花させるも訪れたまさかの悲運と多才な人間性 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【大関取りを射程に捉えながらも......】

 翌15年1月場所は新関脇に昇進。素質がありながら勝ち身が遅く、雑な相撲でなかなか殻を破れなかった"未完の大器"にも、ようやく大関候補の呼び声がかかった。

「まだ三役に定着する力をつけていない。挑戦者の気持ちでやっていくだけ」と果敢にまい進し、13日目に旭鷲山を寄り切って勝ち越しを決めると、翌14日目は高見盛を寄り切り、2場所連続三役での2ケタ勝ち星にリーチを懸けた。

「2ケタを狙いたいですね」と千秋楽の琴光喜との関脇同士の一戦に勝てば、翌場所で大関取りに挑戦できるとあって気合いは十分だったが、琴光喜の横殴りの右張り手で顔が横を向いたところで相手の頭が直撃。脳震盪を起こして、膝から崩れ落ちた。左目付近も出血し、自力では起き上がれず、車椅子で退場した。

 左大腿亀裂骨折と左膝の負傷で翌3月場所は全休。一度悪い方向へ動き出した流れは歯止めがきかず、平幕で復帰した続く5月場所でも初日の安美錦戦で肋骨骨折と左膝骨挫傷の重傷を負って2日目から休場し、7月場所は幕内から陥落。大関を狙う関脇から2場所後には十両へと転落するという、まさに急転直下で"天国から地獄"を味わった。

 公傷休場明けの同年9月場所、十両で土俵復帰を果たすと12勝をマークして幕内に返り咲いたが、その後は膝を庇いながらの相撲で精彩を欠き、平幕2ケタの地位がほぼ"定位置"となってしまった。

 平成17(2005)年11月場所は初日から7連敗。8日目は途中で水が入る長い相撲の末、豊ノ島を上手出し投げに降して待望の初白星を挙げたが、好転のきっかけにはならず。翌日から再び連敗となり、11日目の若兎馬戦で右膝の半月板を損傷し、翌日から休場。翌場所から十両へ陥落すると幕内に返り咲くことなく、平成19(2007)年7月場所はついに関取の座も手放すことになり、幕下に落ちた。

 それでも土俵に上がり続ける執念を見せ、4勝3敗と勝ち越したが、幕下2枚目で迎えた翌11月場所、出だしから4連敗したところでついに力尽きた。

「このところずっと不本意な相撲が続いていたが、今場所の4番目の相撲を終えた時点で決意した。悔いはありません」と引退会見では言いきったが、表情からは無念さも滲み出ていた。

 入門前は学業も優秀で、5歳から始めたピアノの腕前は"玄人はだし"。ショパンも難なく弾きこなすなど、現役時代から多才な一面を見せていた。

引退後は協会には残らず、草野仁事務所に所属し、タレントとして活躍。その後は事務所を退所し、宅地建物取引士、フィナンシャルプランナー、管理業務主任、住宅ローンアドバイザーなどの資格を次々と取得し、現在は不動産関連会社に勤務している。

【Profile】
隆乃若勇紀(たかのわか・ゆうき)/昭和51(1976)年4月2日生まれ、長崎県平戸市出身/本名:尾崎勇記/所属:鳴門部屋/しこ名履歴:尾崎→隆尾崎→隆乃若/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成19(2007)年9月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

2 / 2

キーワード

このページのトップに戻る