【平成の名力士列伝:琴錦】抜群のスピードとうまさで見る者の心を躍らせた「史上最強の関脇」
琴錦は卓越した速さとうまさでF1相撲の異名をとった photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝21:琴錦
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、抜群のスピードとうまさで上位陣相手に波乱を予感させ、ファンを魅了した琴錦を紹介する。
【スピード感あふれるF1相撲の真髄】
人呼んで「F1相撲」。立ち合い、手をついて静止した構えから、行司の軍配が返った瞬間、一気にエンジン全開で加速し、177センチ、146キロの体を対戦相手に真っすぐぶつけて突っ走る。そんな琴錦の姿は、最高速度が時速400kmにも迫る世界最高峰の自動車レースを思わせる、爽快な迫力に満ちていた。
昭和43(1968)年生まれで現在の群馬県高崎市箕郷町出身。小2の頃から始めた柔道で県大会優勝などの成績を残す一方、東京農大二高相撲部の土俵に週一度通って相撲にも励み、全国中学校選手権個人ベスト32など活躍。元横綱・琴櫻の佐渡ケ嶽親方の勧誘を受けた。柔道の国民的英雄・山下泰裕さんのスカウトも受けていたというが、「柔道では飯が食えない」との言葉に心を動かされ、佐渡ケ嶽部屋に入門。中学卒業を機に昭和59(1984)年3月場所、初土俵を踏んだ。
19歳で早くも幕下上位に進出した昭和62(1987)年9月、それまで本名の松澤英行に因み「琴松沢」だった四股名を、佐渡ケ嶽部屋の創設者の四股名「琴錦」に改名。由緒ある名を、まだ一人前の関取にもなっていない力士が襲名するのは異例だが、2代目・琴錦は期待にこたえていく。3場所後の昭和63(1988)年3月に新十両となり、平成元(1989)年5月に新入幕。平成2(1990)年5月場所、西6枚目で横綱・北勝海から初金星を挙げるなど9勝して初の敢闘賞に輝いたのをきっかけに、そこから5場所連続で三賞を受賞。小結から関脇へと駆け上がり、一気に大関候補に躍り出た。前頭5枚目で迎えた平成3(1991)年9月には13勝2敗で平幕優勝。以降も三賞や三役の常連として存在感を示し続けた。
1 / 2
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。