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陸上20km競歩・山西利和の東京五輪プレイバック:世界王者が手にした反省ずくめの五輪銅メダル その悔しさを糧に翌年は再び世界一に (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【厳しいマークを受けた東京五輪】

 酷暑を懸念し、東京から札幌に舞台を移して行なわれた競歩種目。8月5日に男子20kmが行なわれた。五輪前までの21年の記録ランキング1位は16年リオ五輪優勝の王鎮(中国)が3月に出した1時間16分54秒だったが、山西も1時間17分20秒の2位で、ポイント制で測られる世界ランキングはダントツの1位。有力選手のマークは、山西に集中した。

 気温31度、湿度63%というスタート時の条件。山西が最初から集団の先頭に立ったレースは1km過ぎから4分10秒前後のペースに落ち着いて、しばらくは動きのない展開になるかと思えた。だが4km通過直前から飛び出した王が、4分00秒前後のペースで歩いて一気に差を広げ、6km通過では集団と13秒差にした。

 そのなかで山西は、集団の前目に位置をとって少し焦るような表情もあったが、周囲の状況を伺うだけで王を積極的に追うことはしなかった。

「王選手の飛び出しのタイミングが少し早いと思ったのでつかなかったが、離れてからは自分が追いたいという焦りと、周りがあまり動いてくれなかったので(自分が前に出るべきか)迷いがあった。追うならちゃんと追いきるという判断をすべきだったし、もう少し彼を泳がせておこうと考えて『まだ追う必要がない』と決めたら、その時点で後ろに下がってドーンと構えることもできた。立ち回り方はいろいろあったと思います」

 山西の思惑としては、1km4分1ケタ秒台のペースを推移させるのではなく、ある程度ハイペースの展開にし、ほかの選手たちにダメージを与えておきたかった。王が出た時にそのペースに乗って、ふたりで4分を切るハイアベレージのレースにしたほうがいいという思いもあった。だが、暑さのなかで確実に勝つことを考えて、少し慎重になってしまったことで、その後の動きの判断を迷った。

 それでも集団の先頭に立って少しペースを上げた山西は、12km過ぎにはペースが落ちた王をとらえた。そして7人の集団になっていた17km過ぎからは、それまでより一気に18秒あげる3分48秒の仕掛けをした。だが余裕を残していたマッシモ・スタノ(イタリア)と池田向希(旭化成)を、突き放すことはできなかった。

「あそこは勝つためのスパートでしたが、逃げきれなかった時点で、もう勝負ありだったと思います。相手が離れなかった、そこまでに相手の力を削れていなかったというのが正解だと思います」

 3人がそのまま3分台のペースで競り合うなか、スタノが前に出た18km過ぎから山西は苦しそうな表情になり、18.5km付近からはジワジワ遅れ始めた。

 スタノと池田の一騎打ちは19km過ぎから再度仕掛けて3分43秒まで上げたスタノに池田が対応できず、スタノが1時間21分05秒で優勝し、池田は9秒遅れの2位。山西は23秒遅れの3位という結果になった。

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