來田享子(中京大学教授)が語るこれからのオリンピック像「2年に1回の開催は、大会の意義を考えるいい機会にもなる」
100年ぶり3回目の開催となるパリ五輪。その開催テーマにも注目したい photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る検証:オリンピックの存在意義05〜來田享子インタビュー後編〜
パリオリンピック開幕を2週間後に控えた現在、東京オリンピックの際にさまざまな議論を経験した我々日本人は、世界情勢が不安定ななかで開催される今回の大会をどのように受け止め、向き合っていくことができるのか。また、21世紀の人間社会にとって、オリンピックというイベントはどのような意味を持つのか。
前回に引き続き、中京大学教授スポーツ科学部教授・來田享子氏にじっくりと訊いた。
>>前編「メディアの責任と東京五輪後に見え始めたアスリートの変化」
【大会の意義を考える重要性】
――日本のアスリートや競技団体、そして日本のスポーツファンが東京オリンピックの経験を踏まえて今回のパリオリンピックに関わっていくことの意味とは、何でしょうか?
來田:私たちは、オリンピックムーブメントを理解したうえでオリンピックに向き合っているのか、地球市民のひとりとしてこのムーブメントにどういうスタンスを取るのか、ということを4年に1回、冬季大会も入れると2年に1回問いかけられているのだと思います。あれだけのお金と時間を使って、ただ大騒ぎするだけのイベントで終わってしまってもいいのか。逆にそんな程度のものだと考えられているから、オリンピック不要論も出てくるのでしょう。
パリオリンピックで選手が活躍して皆が喜ぶのは、それはそれとして、ではパリ大会にはどんな意義があるのか、東京の時はどうだったのか。これから日本人はオリンピックを招致しようと思うのか。はたまた、選手を今後も派遣する必要はあるのか。そういったことを2年に1回考えさせてくれるチャンスなのだ、と捉えなければいけないでしょうね。
――つまり、オリンピズム、オリンピックムーブメントという思想や運動体があったうえで、その具体的な形としてのオリンピックなのだ、ということなのでしょうが、そのような捉え方は、日本の報道を見る限りあまりできていないように見えますね。
來田:そうなんです。オリンピックは平和の祭典だと言われていますが、オリンピックと平和はなぜ直接的に結びつくのか。戦争があるとスポーツはできない、ということは誰しも想像できると思うのですが、では、オリンピックムーブメントは何を追求してきたのか。そこの説明が残念ながら飛ばされているように思います。
たとえば2021年の東京大会は、1964年以降に日本社会が歩んできたことの総括として捉えると、半世紀を経てアップデートした大会というよりも、むしろ焼き直し感のあるものが多く、現在の日本の力が露呈した面が強かったようにも思うんです。この50数年間に何をやってきたのか、ということを考えると、そこはやや、残念です。
だから、オリンピックに関心がある皆さんは「今年のパリオリンピックは1900年や1924年から何をアップデートしているのだろう?」という視点から大会を見てみるのもいいと思います。
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著者プロフィール
西村章 (にしむらあきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)、『スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか』 (集英社新書)などがある。