北京五輪で好成績を残した日本のスピードスケート。男子の未来は明るくも女子は若手の台頭が課題 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

【短距離でも発揮した天才ぶり】

 2日前のチームパシュートの6周2本を含め、1000mは今大会7レース目で疲労は内蔵にもきていた。500mの日からリンクに復帰したデヴィットコーチからは「疲れても滑りを変えないこと」と指示されていた。スタート前にフォーカスしていたのは「500mと同じようにスタートを決めること」という1点だった。

 さらに同走のアウトレーンは、1000mW杯ランキング4位のアンジェリーナ・ゴリコワ(ROC)で、前半から飛ばす選手だったことも幸運だった。スタートから相手を目標にして滑り、600mまでは500mのバックストレートをイメージした、「力強いけど伸びのある滑りをする」ことだけを考えられた。そこまでの1周を全選手最速の26秒88で滑った高木美帆は、「いい滑りを意識するだけだった」というラスト1周も持久力の高さを見せつけ、全選手最速の28秒71でカバー。ゴールタイムは五輪記録を大幅に更新する1分13秒19で圧勝した。

「疲労が溜まったこの局面で、『2周だったら頑張れる』と思えたのは大きかったと思います。これがもし4周だったら、すごい恐怖心と戦うことになったと思いますが、2周ならいけるという謎の自信があったので最初から攻めていけました。最終種目が1000mでよかったですが、これも時間をかけて多種目を滑ってきた積み重ねの成果だと思います」

 このレースまでにチームパシュートを含めて銀メダル3個を獲得していた高木美帆。レース後に「今朝、姉の菜那から『銀4個でも快挙らしいよ』と言われたのを今思い出しました」と笑った。

 高木美帆の短距離2種目の金と銀は、彼女の天才ぶりがさらに発揮される、新たな一歩。それが、日本チームを救う結果になった。

 残念だったのは500mで五輪連覇を狙い、1000mも今季W杯1勝挙げて総合2位につけていた小平奈緒(相澤病院)がケガのため、本調子で臨めなかったことだ。長野市が大雪になった1月15日に右足首をねん挫し、1週間ほど氷から離れ、そのあとの1週間は、靴は履けたがまったく滑れなく、「絶望的だった」という状態で北京入り。

 それでもレースに出られるまでは戻してきたものの、戦えるところまではいかず、500mは17位、1000mは10位という結果に終わった。

 故障するまでは調子も上がってきて、500mでは12月のW杯カルガリー大会で出した36秒7~8をイメージして五輪に臨めるほど好調だった。

 それもねん挫で無に帰したが、「今、この瞬間、自分が乗り越えようとしている姿を見てもらうことが、五輪に参加していることの意味かなと思いました」と戦い抜いた。彼女が万全だったなら日本チームの流れも大きく変わったかもしれないだけに、 無念の故障だった。

 また、男子500mでは新鋭の森重航(専修大)が銅メダル獲得と結果を出したが、金メダルを期待された新濱立也(高崎健⼤職員)の不調は残念だった。500mはスタートのミスでスピードに乗れず20位。メダルの可能性があった1000mも前半でスピードを上げられず21位という結果に終わった。五輪初出場の難しさを味わう結果となった。

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