羽生結弦を覚醒させた「誰かのために」の思い 五輪連覇の偉業への道のり (4ページ目)
その後、2013年2月の四大陸選手権では他の日本代表選手がコンディション不良に苦しむなか、2位という結果を残した羽生。しかし、2回目の出場の世界選手権は苦しんだ。翌年のソチ五輪における日本代表3枠の確保が命題となる大会だったが、SPではジャンプの転倒と両手をつく大きなミスがあって9位。高橋もSP4位と出遅れて、3枠獲得に黄信号が灯った。
不振の原因は体調不良だった。四大陸選手権のあとにインフルエンザに罹患して10日間ほど寝込んだ。そのうえ、練習を再開した直後に左ひざを痛めて1週間ほど滑ることができず、世界選手権には痛み止めを服用して出場している状態だったのだ。
おまけに、フリー当日にも朝の公式練習で足首を痛めてしまう。まさに満身創痍の状態だったが、「ここまで来たら日本代表として悔いのない試合をしたかったし、ショートの悔しさと申し訳なさをぶつけたいと思いました。痛み止めも少し量を抑えて感覚を優先することを選びました」と羽生。
迎えたフリーでは、2本目の4回転サルコウや3回転フリップで乱れは出たものの、ミスはそれだけに抑える執念の滑りを披露。合計244.99点で総合4位に入った。結果、6位になった高橋との合計で五輪代表3枠も確保。羽生は安堵の表情を見せたのだった。
<プロフィール>
羽生結弦 はにゅう・ゆづる/1994年12月7日生まれ、宮城県仙台市出身。2009年ジュニアGPファイナル、2010年世界ジュニア選手権を制覇。2014年ソチ五輪で日本男子フィギュアスケート初の金メダルを獲得すると、2018年平昌五輪では66年ぶりとなる男子シングル連覇を達成。その間、世界選手権2度優勝、GPファイナル4連覇など数々の偉業も遂げる。2022年、北京五輪(4位)に出場後、同年7月にプロへ転向。自身で企画・プロデュースを手掛ける単独アイスショーを開催するなどプロスケーターとして精力的に活動している。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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