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羽生結弦を覚醒させた「誰かのために」の思い 五輪連覇の偉業への道のり (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【大震災発生後の葛藤と覚悟】

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。仙台市内のホームリンクで練習中だった羽生は恐怖を味わった。しかも、震災でそのリンクが使えなくなり、オフの間は関東のリンクで練習したり、出演するアイスショーで経験を積んだりした。当時、羽生はその頃の心境についてこう語っていた。

「身近に被災されて本当に大変な方たちも多いなかで、自分が好きなことをやっていていいのかとも考えました。でも、学校に行った時や街を歩いている時に、僕に声をかけて『演技を見て元気になった』と言ってくれる人たちがいて。少しでもそういう方たちの力になれるのなら、これからも滑っていいのかなと思ったし、もっと元気になってもらうためにも頑張ろうと思いました」

「誰かのために」との思いが羽生を覚醒させたのだろう。2011−2012シーズンは着実にステップアップしていった。

 SPに4回転トーループを入れる構成に挑戦し、GPシリーズの中国大会ではSPで初めて80点台を出す。次のロシア大会でもSPとフリーで自己ベストを更新。4回転ジャンプで追い上げを見せたハビエル・フェルナンデス(スペイン)を僅差で抑え、羽生はGPシリーズ初優勝を果たした。

 初進出のGPファイナルでは自己最高得点を伸ばしながらも、世界王者のパトリック・チャン(カナダ)、高橋、フェルナンデスに次ぐ4位。トップで戦う厳しさも味わったが、その直後、中1週間というハードスケジュールで挑んだ全日本選手権で再び躍動した。SPは4位発進だったが、フリーでは4回転トーループを決めて1位。高橋、小塚に次いで総合3位となり、世界選手権代表を初めて勝ち取った。

 羽生は初の大舞台に向け、「震災を含めていろいろ経験してきたので、それを生かしたいです。アイスショーでは、試合形式のなかで4回転を跳んだのは今までで一番多かったと思うし、照明が暗いなかでも4回転を降りてきたので自信もついたし、プログラムのなかでの体力もついたと思います」と意欲を口にした。

 しかし、世界選手権はSP前日の公式練習で右足首を捻挫。棄権も考える状況まで追い込まれた。それでも出場を決めると、SPでは最初の4回転トーループに2回転トーループをつける連続ジャンプに成功。最後のルッツでミスがあって7位発進となったが、フリーでは大きなミスもなく、うまくまとめて自己最高得点を獲得。結果、合計251.06点まで伸ばして、チャン、高橋に次ぐ総合3位と、逆境での勝負強さを見せた。

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