つながる金メダリストの系譜。荒川静香と羽生結弦が語る「五輪の記憶」 (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 能登直/仙台市●撮影 photo by Noto Sunao

 その後、「20歳での引退」を考えていた荒川は、2002年のソルトレイク五輪を集大成に競技から離れるつもりだったという。しかし、「悔いのない演技をして終わりたい」と練習を続けるうちにスケートの魅力に引き込まれ、ソルトレイク五輪出場を逃した後も第一線で戦い続けた。そして、24歳で代表の座を勝ち取ったトリノ五輪では、大会直前のプログラム変更をものともせず、ショートプログラム(SP)終了時点で上位選手と僅差の3位につけた。

「優勝を狙うにはいい順位だなと思っていましたし、すごく調子もよかったので気持ちは楽でした。フリー当日の公式練習では、自分の予定しているプログラム以上のものを練習していたんですが、それを見た他の選手に『それを全部やられたら困る。失敗できない』というプレッシャーを与えられたんじゃないかと思います。オリンピックはそういう心理戦の場ですから」

 冷静にフリー本番を迎えた荒川は、他の選手がミスを重ねる中で完璧な演技を披露。日本フィギュアスケート界に初めての金メダルをもたらした。

 そんな荒川の活躍に「勇気づけられ頑張ってこられた」と話す羽生は、日本男子のエースへと成長を遂げて2014年のソチ五輪に出場した。「ジンクスも考えた」という荒川と同じ青の衣装で臨み、SPで首位に立つ。しかし、翌日のフリーを前に五輪ならではの「敵」に直面することになった。

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