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アジャコングが語るプロレスの醍醐味 ブル中野との抗争で見えた「自分の肉体を通じて人に何かを伝える」 (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

――1992年11月、アジャ選手がブル中野さんに勝利した時はどうでしたか?

アジャ:「今日は、私がブル中野を超える瞬間をみんなが見たいと思っている」っていうのを試合中に感じたので、「なにがなんでもやり遂げなければいけない」と思いました。お客さんに"伝える"ことができるようになったのは、たぶんあの時期ですね。

――『夢プロレス』のアジャコング回は、神動画だと思います。私はライターですが、"伝える"ということに関してものすごく勉強になりました。

アジャ:彼女たちはもともとプロレスラーを目指していたわけではなく、タレントやグラビアアイドルとかなんですけど、要は"表現者"なわけじゃないですか。ということは、プロレスと共通点はあると思うんですね。グラビアアイドルだったら、グラビアを通じてお客さんに何を見せたいか。役者さんだったら、役になりきって何を伝えるかとか。その表現ができなければ、あなたたちがこれから目指そうとしているところでは何も伝わらないよ、ということですね。

――彼女たちにとっても、勉強になったと思います。

アジャ:特にプロレスの場合は、殴られたり蹴られたり、普段しないようなことをするので、それをストレートに伝えていかないといけない。「私は痛いんです、つらいんです、苦しいんです。でも今、楽しいんです」という喜怒哀楽は全部リングで出せること。それを「こんな感じでやっとけばいいや」じゃなくて、感情を爆発させていくことによって、あなたたちが夢を叶えることに全部がプラスになっていくよ、という思いで見ていました。

 たとえば、料理だったら形として出てきて、美味しいという感覚が残りますけど、プロレスは形に残ることってひとつもないんですよ。満腹になるわけでもないし、バッグとか服といった形に残るものでもない。人の思いとして、気持ちに残ることでしかないんですよね。自分の肉体を通じて人に何かを伝えるということが、プロレスの一番の醍醐味だと思います。

――技術的なことで言うと、プロレスの「うまさ」はどういうところに出ますか?

アジャ:観ている人に、不安や違和感を与えないというところが大きいですかね。ワクワクドキドキはさせるけど、「大丈夫かな?」って不安にはさせない。ケガをする不安とか、そういうのを観ている人に抱かせないのがうまさかなと思います。

――これまでに闘った選手の中で、「うまいな」と思った選手は?

アジャ:井上京子とか、あとやっぱり長与千種さんもうまいですね。ケガをしない、ケガをさせないレスラーはうまいなと思います。

(つづく)

【プロフィール】

●アジャコング

1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken  Instagram:@ajakong.uraken

著者プロフィール

  • 尾崎ムギ子

    尾崎ムギ子 (おざき・むぎこ)

    1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。プロレスの記事を中心に執筆し、著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(共にイースト・プレス刊)がある。

【写真】「常に今が史上最高」アジャコング フォトギャラリー

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