ハンセンがいきなり全日本のリングに。ホーガンの移籍ドタキャンで結成されたブロディとの「最強タッグ」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Tokyo Sports/AFLO

 ただ、最初はハンセンではなくて、ハルク・ホーガンに声をかけたんですよ。馬場さんもテリーのアイディアに乗って、交渉を任せたんですね。それでホーガンも一度はOKしたんですが、土壇場になって『やっぱり、ニュージャパンに残る』と決断を翻した。これにテリーが激怒して、ホーガンが泊まっていた新宿のホテルに弟分のディック・スレーターと一緒に乗り込んだんです。

 それ以降、ホーガンは2度と全日本には関わらなかった。それでテリーはハンセンにターゲットを変えて、引き抜きに成功したんですよ」

 ハンセンは、デビュー時にドリーとテリーからプロレスの指導を受けており、そうした縁から移籍が実った。初登場した蔵前国技館の控室で、和田はハンセンの姿を目撃している。

「試合前に控室へ行くと、ハンセンがテンガロンハットを被ってブロディたちと会話していたんです。その時点で俺は事情を知らなくて、2人は同じ大学(ウエスト・テキサス州立大)の同級生だったから『仲がいいから遊びに来たのかな』と思っていた。それが、入場で一緒に出てきたから驚きましたよ。場外戦でテリーにラリアットを食らわせたりしたので、『全日本に来るんだ』とわかりましたけど、とにかくあの登場は衝撃的だったよ」

 1982年1月から全日本に参戦したハンセンは、そこでも一気にトップ外国人レスラーとして活躍した。

「全日本への参戦が決まった時、馬場さんとハンセンの間で約束を交わしたんです。それは、具体的な額はわからないけど、破格のギャラと、年間全シリーズに呼ぶという約束。馬場さんの『俺が目の黒いうちは保証する』というお墨つきです。

 さらにアメリカとの往復の飛行機はファーストクラス。待遇は全日本の歴史を振り返ってみてもトップでしょうね。これは有名な話ですが、いつもハンセンは日本に手ぶらで来るんだけど、帰りはアタッシュケースを持って帰った。その中には、『ドルの札束が詰まっていた』という都市伝説があるくらい稼いでいましたね」

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