新日本プロレスに負の連鎖→藤波辰爾がアントニオ猪木に反旗。師匠を迎え撃った伝説の一戦 (4ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Yukio Hiraku/AFLO

 猪木は、それから10年後の1998年4月4日、東京ドームで引退。引退後は新日本プロレスの筆頭株主として、1999年に藤波を社長に指名した。

 その頃から、団体からはストロングスタイルの色は薄れ、ショーマンシップの要素が増えていく。猪木からは突然のカード変更を言い渡されるなど、翻弄されたこともあったが、「猪木さんには猪木さんの考えがあってのことだと僕はわかっています。『プロレスは闘い』という信念がある方ですから、『そこから外れたことをやっているんじゃないか』という警告だったんでしょう」と振り返る。

 藤波は2004年に社長を退き、2006年には新日本を退団して現在に至っている。それでも猪木との関係は変わらなかった。今年1月から、猪木は腰の治療のため入院しているが、それまでは定期的に会食を重ねていた。

「今も猪木さんの前では緊張しますよ。入門した時の、17歳の時の自分に戻るんです。プロレスラーになる前から憧れていた、猪木さんへの気持ちが変わることはありません。それは、自分でもすごく変だな、不思議だなと思うこともあるんですけど、それくらいの思いを抱ける方と出会えたことがありがたい。そして、今もプロレスが続けていられることがありがたい。猪木さんとは、正直、いろんなことがありました。でも、今はすべてを越えて、感謝の思いしかありません」

 藤波にとってアントニオ猪木は、永遠に変わることのないヒーローだ。

(第3回:永遠のライバル、長州力への思い>>)

■藤波辰爾が主宰する「ドラディション」は、『THE NEVER GIVE UP TOUR』と銘打ち、デビュー50周年記念ツアーを今秋からスタートすることを決定。
第一弾・・・10月31日@大阪・南港ATCホール 11月9日@東京・後楽園ホール
詳しくはこちら>>

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