2019.10.21

井上康生、シドニー五輪金メダル秘話。
母と一緒に立った表彰台

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第12

2020年7月の東京オリンピック開幕まであと9カ月。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

◆ ◆ ◆

 生まれ育った宮崎を出て東海大相模高へ進学した頃から、井上康生は次代の男子重量級を担う逸材と期待されていた。その成長の大きな追い風になったのが、1998年から体重別のカテゴリーが変更されて100kg級が誕生したことだった。

シドニー五輪柔道男子100kg級で金メダルを獲った井上康生 それまでの井上は、100数kgの体重だったが、試合では最重量級の95kg超級で自分よりも20~30kg重い選手たちと戦わなければならなかった。当時、国際柔道連盟の役員も務めていた東海大の恩師、佐藤宣践氏は「私はルール改正の最前線にいたので、『これは井上康生のために作った階級じゃないですか』とからかわれた」という。

 自分より重い選手に勝ち最強になりたい、という思いが井上にはあった。95㎏級で戦っていた兄・智和とも戦わなければいけないことに躊躇する気持ちもあった。しかし、山下泰裕氏(当時全日本柔道男子ヘッドコーチ、現日本オリンピック委員会会長、全日本柔道連盟会長)の「100㎏級でチャンピオンになってみろ」という言葉と、佐藤氏の「より早く、確実にお前が世界の頂点に立てるのは100㎏級だ」という言葉も階級変更を決意させた。

 井上は98年アジア大会では優勝したが、99年に入ると不調に襲われた。全日本体重別では準決勝で敗れたものの、ライバルの鈴木桂治も敗れたため、井上は世界選手権の初代表に選ばれた。6月下旬には母・かず子さんが急死するという不幸にも見舞われたが、10月の世界選手権では荒々しい攻めの柔道を貫いて、あっさりと優勝を果たした。

 世界チャンピオンとして臨んだ00年シドニー五輪。井上は2月のフランス国際の4試合をオール一本勝ちで優勝すると、代表選考会を兼ねた全日本体重別も3試合すべてで一本勝ち。文句のない成績で五輪代表の座を勝ち取った。

 だが、全日本で担当コーチになった高野裕光は、井上の強さはまだ本物ではないと考えていた。うまく波に乗って運を引き寄せれば世界で勝てる強さはあるが、五輪で勝つためにはさらにワンランク上の稽古をしなければダメだ、と高野は考えた。そしてスタミナをつけるために、8月の最終合宿では井上を限界まで追い込んだ。